「サングラスを外さず、田舎者丸出しだった」加藤浩次
<当時大阪ではすでに若手芸人の賞レースなどで争っていたナインティナインやよゐこに比べてまったく売れていなかったのが極楽とんぼだ。片岡は彼らとどのように出会ったのだろうか。>
極楽とんぼは、構成作家の伊藤正宏さん(※5)が、「吉本バッタモンクラブ」っていう小さなライブでネタをやっている若手のビデオがあるって見せてくれたんです。カメラは引きの画だし、照明もあんまりないし、画像も粗いから顔さえよくわからないんですけど、そこで大声で2人がケンカしてる。ネタというよりも印象としてはケンカで、客はそんなに笑ってないんですよ(笑)。でも何か気になるなと思って、会ってみたんです。ナイナイもよゐこも、当時からネタは面白かったんですけど、極楽とんぼに会って改めてネタを見せてもらったら、やっぱり全然面白くなかった(笑)。
「もういいよ、極楽とんぼ、帰って」みたいなことを言うと、山本が初対面なのに、あのなれなれしい感じで「まあ、まあ、そんなことを言わずにー」って。「僕ら遅くなっても大丈夫なんですからぁ」って粘ろうとするのが、すごく面白くて。若いクセに即興の返しがすごく上手かった。今思えば、最初からとてもテレビ的な芸人だったんです。
加藤浩次のほうは、これは何度もネタにしていますけど、僕に出会った日にサングラスをかけてロングコート羽織ってやってきて、ずっとサングラスを外さないまま座っていて、あんまり口もきかなかった。北海道から腹くくって出て来て東京のテレビにバカにされたくねえから……みたいな、もう田舎者丸出し(笑)。ただひたすらイキってたんです。だから、そのときは加藤に興味を持つよりも、山本の人間味みたいな部分に惹かれました。同じなんですけどね、よゐこのことを好きになったり、ナインティナインのことを好きになったりするのも、会って話してみるとシンパシーが持てる。シンプルにそれだけ。僕は一人っ子で兄弟もいないので、弟のように思えるというか、みんな最初はそんなところだったと思いますね。
今となっては加藤も洗練されたかですか?……いや~、田舎者のまんま世田谷に豪邸建ててますね(笑)。まだイキってますよね。
#6 「ブスをビジネスにする――光浦靖子は発明をした」『めちゃイケ』片岡飛鳥の回想 へ続く
#1 『めちゃイケ』片岡飛鳥の告白「山本圭壱との再会は最後の宿題だった」
#2 「岡村さん、『めちゃイケ』…終わります」 片岡飛鳥が“22年間の最後”を決意した日
#3 「早く紳助さん連れて来いよ!」 『ひょうきん族』で片岡飛鳥が怒鳴られ続けた新人時代
#4 「飛鳥さん、起きてください!」 『いいとも』8000回の歴史で唯一“やらかした”ディレクターに
#7 「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか
#8 「加藤のマラソンが間に合わない…」『27時間テレビ』片岡飛鳥がナイナイの前で泣いた日
#9 「僕が岡村を休養まで追い詰めた…」『めちゃイケ』
#10 「最高33.2%、最低4.5%」『めちゃイケ』歴代視聴率のエグい振り幅――フジ片岡飛鳥の告白
#11 「さんまさんを人間国宝に!」ネット時代にテレビディレクター片岡飛鳥が見る“新たな光”とは?
※1 吉田正樹…1959年生まれ。『夢で逢えたら』、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』などの演出、『新しい波』、『とぶくすり』、『笑う犬シリーズ』などのプロデュースを担当。現在はワタナベエンターテインメント会長。
※2 三宅恵介…1949年生まれ。『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんディレクターズ」のひとり。クレジットは「三宅デタガリ恵介」。『あっぱれさんま大先生』や『明石家サンタ』など明石家さんまの番組ディレクター・プロデューサーを歴任。
※3 星野淳一郎…1960年生まれ。『夢で逢えたら』、『ダウンタウンのごっつええ感じ』などの演出を担当したフリーディレクター。2017年死去(享年57)。
※4 荒井昭博……1962年生まれ。『夢がMORI MORI』でSMAPをバラエティ番組に起用。『笑っていいとも!』のプロデューサーを務めたほか、『SMAP×SMAP』、『ココリコミラクルタイプ』などを手がける。現在はBSフジ常務取締役。
※5 伊藤正宏…1963年生まれ。『とぶくすり』、『めちゃ×2イケてるッ!』、『料理の鉄人』、『クイズ$ミリオネア』、『空から日本を見てみよう』など数多くのバラエティ番組の構成作家を歴任。現在は『ポツンと一軒家』などを担当。
聞き手・構成=てれびのスキマ(戸部田誠)
写真=文藝春秋(人物=松本輝一)