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日本にもスケールの大きな技術者がいました

 インターネット決済のペイパルの創業で巨万の富を得たマスクさんは、2003年にテスラを立ち上げました。その動機は「地球を二酸化炭素による温暖化から救うこと」でした。人類を救うためにガソリン車の代わりにEVを普及させようと考えたのです。そのとてつもなく大きな使命感の前では目先の資金繰りなど小事であり、窮地の中で「自分たちの使命を忘れないでくれ」と呼びかけたのです。その年、マスクさんはトヨタ自動車から5000万ドル(当時約45億円)の出資を引き出し、危機を乗り越えました。

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 日本にもマスクさんのようなスケールの大きな技術者がいました。1970年代にシャープの専務、副社長として、カシオ計算機との「電卓戦争」を戦った佐々木正さんです。

 佐々木さんは、当時まだ大学生だったソフトバンクの孫正義氏が発明した電子翻訳機を1億6000万円で買い取った「大恩人」として有名ですが、エンジニアとしての最大の業績は、それまで宇宙開発や軍需が主な用途だった半導体を使ってポケットサイズの電卓を作り、民需を切り開いたことです。電卓を小型化するために開発したMOS(金属酸化膜半導体)と呼ばれる半導体は、今でもパソコンや携帯電話に使われています。液晶ディスプレーや太陽電池パネルを電卓で最初に使ったのも佐々木さんでした。

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「我々、技術者は何のために働くのだろう?」

 佐々木さんがいち早く半導体の重要性に気づいたのは、終戦直後にGHQ(連合国総司令部)の命令で、真空管の技術を学ぶために渡米し、AT&Tの研究所で3人の研究者と出会い、彼らにトランジスタの存在を教わったからです。帰国するとすぐに通商産業省(現在の経済産業省)に「日本でも半導体をやるべきだ」と掛け合い、補助金を引き出しました。このため佐々木さんは「日本の電子工業の父」とも呼ばれています。

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 日本の半導体産業の第一人者になった佐々木さんは、シャープの副社長だったとき、韓国の三星電子工業に乞われ、半導体メモリーの生産技術を教えてしまいます。通産省の役人は佐々木さんを「国賊」と罵りましたが、佐々木さんは「そもそもアメリカに教わった技術を韓国に教えて何が悪い」と平気な顔をしていました。佐々木さんは若い技術者に向かって、よくこう言っていました。

「我々、技術者は何のために働くのだろう? 会社のためか? 違う。日本のため? それも違う。人類の進歩のためだよ」

 大きな目で見れば、皆さんの仕事は必ずどこかで人類の進歩につながっています。そう考えれば、組織内での縄張り争いや、上司の保身に関わっている暇はないはずです。どうか人類の進歩のために、利益を生む仕事に励んでください。