昭和と共にあった日本型ドライブイン。ファミリーレストランの少なかったその昔には身近な存在だったが、最近はあまり見かけなくなった。そのせいかたまの地方で目にすると、ノスタルジイを感じてつい入りたくなる。でも、結局は入らずじまい。そこまでのんびりしている時間もないような気がして、またの機会にしてしまう。
そんなわけでほくほくと本書を手にしたところ、著者が自分よりひとまわり若い人だったので驚いた。しかも元になっているのは、自費出版で十二号まで(!)出した「月刊ドライブイン」という小冊子らしい。ドライブインはあまり馴染みがない世代であるはずの著者が、一体何に吸い寄せられてしまったのか、不思議で仕方がなくなった。
もっとも、この世代のずれが、うまい具合に働いたのは間違いない。いい本なのである。著者の焦点はありきたりなノスタルジイにからめとられることなく、「店主たち」の人生にしっかりと合わせられている。車で巡るお遍路さんのため、ドライブインを建てた人。能登観光ブームにあやかり、買い取ったドライブインで商売を始めた人。南房総では母の始めた店を継いだ人……。それぞれの店にそれぞれの人生があったことに今さらながら気づかされた。本来、店の個性は彼らの人生から染みだしたものだというのに、今まで見過ごしていたなんて。
見切り発車で店を始めた人たちが少なくなかったと知れたのも、ちょっとした収穫だったりする。道路が通るからドライブインでもやろう。だったら近くの店で修行して料理を覚えよう。そのあともゲームコーナーを併設したりカラオケを始めたりと、皆、臨機応変でたくましい。今だったら、いいかげんだと言われるのかもしれないが、この勢いこそ昭和だ。この間まで自分たちもそんな世界に属していたはずなのに、今では遠くにきてしまったと、つい目を細めてしまう。そして油断すると、こうしてすぐノスタルジイにはまってしまうから、僕なんかはいけない。
本文に登場する店主が語る言葉が印象的だ。ドライブインの衰退は新しくできた道路のせいではない、そういう時代だからだと語るところである。旅行のときでさえ皆が目的地へ急いでいる時代に、ドライブインに寄る時間はないだろうと彼は言う。なるほどそうかもしれない。最近では目的地さえ決まっていないうちから、わけもなく急いでしまいたくなる。ふと、昔よくドライブインに連れて行ってくれた父親の顔を思い浮かべてしまった。あの頃の父は、どれくらい急いでいたのだろう。
ついでに今度、自分の息子を連れて行ってみようかとも考えた。しかしこちらは少し急ぐくらいでちょうどいいのかもしれない。我らのドライブインは、どんどん遠ざかっている。
はしもとともふみ/1982年、広島県生まれ。学習院大学卒業。2007年よりライターとして活動。同年、リトルマガジン「HB」創刊。以降、「月刊ドライブイン」ほか複数のリトルプレスを手がける。
いとうたかみ/1971年、兵庫県生まれ。作家。著書に『ドライブイン蒲生』、『はやく老人になりたいと彼女はいう』など。