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「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#7

「めちゃイケはヤラセでしょ」という批判をどう考えている?

<よくドキュメント性の観点から「『めちゃイケ』には台本がある」だとか「『めちゃイケ』はヤラセ」だとインターネットを中心に批判されることがある。そのことについて片岡飛鳥はどのように考えているのだろうか。>

 それは『めちゃイケあるある』ですけど(笑)、「そこは台本があるだろ」とか「あの部分は絶対ヤラセ」とか「ドキュメントなのにありのままじゃない」とか、我々の演出に対するご意見ですよね。うーん……とりあえず僕とかマッコイ(斉藤 ※2)ぐらいの世代って“強めの演出”が好きなんでしょうね(笑)。そんなに求められてないときでも、すぐフルスイングしちゃうのが悪いクセというか……もちろんテレビですから、基本的には見る人の感想がすべてだと思います。

台本、ヤラセ、ありのままじゃない。意外にも片岡は批判の言葉を何ひとつ否定することなく、演出家としての細部に渡る感覚を説明し始めた

 ただ映画監督の是枝(裕和)さん(※3)の本を読むと、あの人はテレビのドキュメンタリー出身で「ドキュメンタリーでは、そもそも被写体はカメラが回ってることを知って撮られているし、その前提でインタビューに答えている」と。つまり「被写体がカメラの前でどう振舞っていたいかを撮るのがドキュメンタリー」であって、「脚色や演出はしないでありのままを撮れ」というのなら、究極、全部隠し撮りでやって、その“ありのまま”の被写体をカメラに収めるしかない。でも、そんなの本当に面白いですか?みたいな。是枝さんの大先輩の言葉だったかな……ちょっとうろ覚えだけど、痛快な極論だったはずです。やや畑違いなんですが、僕としては「こう振舞いたい」という出演者の気持ちに「こんな風に撮りたい」という演出家のものの見方や考え方、いわゆる価値観が乗って、初めて面白いドキュメンタリーとして伝わるんだと理解しています。

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『めちゃイケ』っていうのはなによりも出演者の人間性や喜怒哀楽を引き出したい番組です。だから、それをより魅力的に見せるためのストーリー性やドラマ性は演出していました。たとえば「オファーシリーズ」で岡村がEXILEのダンスに挑戦する(2007年10月6日放送「第11章 EXILEとダンス編」)。演出ゼロでいけば、心配性の岡村は「大丈夫ですかねえ、できるかな?」って言いながらも、プロとして難しい課題をひたすら真面目に練習する。それはわかっている。でもその猛練習に入る前に岡村が「EXILEなんて大嫌い」という設定をわざわざ作るわけです。「だいたい何かしらのヒゲをはやして、人前でサングラスをして、坊主頭にカミソリで線を入れている。僕はそんなチャラい奴らは大嫌いです」って岡村が言う。まだ当時の世間がEXILEに抱いていたであろうイメージです。

「オカザイル」のオープニング。矢部からの「なんとあのEXILEからオファーが来ています」という知らせに全く乗っていない岡村 ©フジテレビ

 ところがHIROさんに会いに行くとビックリするほどイイ人で(笑)、「EXILEは全員岡村さんをリスペクトしてるんです」と。すると岡村がもうコロッと態度を変えて「じゃあ今回はオカザイルってことでどうでしょうか」と。その流れは演出であり、もちろん台本もあります。最初はATSUSHIさんの外見も嫌いって言ってたのに、1カ月後のライブ本番では、EXILEメンバーにはサプライズで岡村自身が坊主にして、線を入れてサングラスをかける。ステージでATSUSHIさんのマイクをぶん取って「EXILE最高!」って叫び始める(笑)。言わばコント的なフリオチは設定されている。結局岡村はその「いくつかの設定」だけは役柄として守りつつ、あとは好き勝手に振舞っている感じなんですけどね……でも、こんな裏側ぶっちゃけてるの無粋ですよね? 本当に聞きたいですか? つまんないよなあ……いや、今日はなんでも話すって約束したんだ(笑)。

コンサート本番。モニタリングの矢部が怒り出すほど好き勝手に踊り続ける岡村。1カ月に及ぶ猛練習のゴールはChoo Choo TRAIN。 「楽しくていつまでも終わるな、と思った」(岡村談) ©フジテレビ