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「鬼熊が来たらメシでも食わせてやれ」住民たちが連続殺人犯を匿っていた理由とは

鬼熊事件――「代替わり」大正15年夏の犯罪 #2

2019/04/09

genre : ライフ, 歴史, 社会

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【「熊次郎出た!」猟奇的犯行が「鬼熊事件」として日本中の注目を集めるまで】から続く

 2人を殺害、4人に重傷を負わせて放火した岩淵熊次郎(35)は、いつしか新聞報道で「鬼熊」と呼ばれるようになった。事件発生から22日後の9月11日、立ち回り先で警察官に見つかった熊次郎は、大型の鎌で追いすがる巡査を殺害。鬼熊はそのまま姿をくらまし、報道合戦はさらに過熱する一方だった―――。

「熊さんなら旦那にしたい」

「東京・柳橋の芸者から『熊さんなら旦那に持ちたい』という投書が届いた」と報じた新聞もあった。国内だけでなく、世界最古の日刊紙であるイギリスの「タイムズ」もニュースに取り上げたという。

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 鬼熊の行動を表す「神出鬼没」が流行語になり、「鬼熊の足跡を追ふて」という記録映画が製作されて逮捕・死亡前日に公開されたほか、「悪夢」という題名の映画も地元での撮影を経て製作されたという記事も。街を流して歌っていた演歌師が「鬼熊狂恋の歌」を作って流行させた。

「ああ執念の呪わしや 恋には妻も子も捨てて やむ由もなき復讐の 名もおそろしや鬼熊と……」

“特需”で「懐中電灯屋が大繁盛」

 事件はさまざまなところに影響を及ぼした。新聞の見出しで見ても、「此處へも彼處へも 『熊』が出た騒ぎ」、「大包囲網も功を奏さず」、「警官は極度の疲労」。そのうち「熊未逮捕の責任何れにあるか」などと、警察の責任を追及する論調が強まった。

 村内の養蚕が盛んな地区では、鬼熊が徘徊しているため、農家がエサの桑の葉を摘み取りに行けなくなった。それが8月31日、「関係地方民は仕事も手につかず」「秋蚕飼育大打撃」という記事に。

 逆に、取材陣の殺到で“特需”も発生。9月17日に「熊公事件で繁盛する旅館と自動車屋」の記事が載った。いまのメディアの動きにも重なるが、面白いのは「暗夜の捜査に従事するため懐中電灯屋が大繁盛」だったこと。

©iStock.com

中央政界の政党対立も影を落とした

 さらに興味深い話題も。久賀村と隣村の境にあり、前年の国勢調査で“発見”された戸数27戸の地区が、「殺人鬼・熊次郎を出した村の村民にはなりたくない」と、代表が隣村への編入を県に請願したという(9月21日の記事)。ほかにも、柔道5段の「猛者」らが山狩りに参加した話、僧侶が「鬼熊を自首させる」と名乗り出た話などもニュースに。

 事件には中央政界の政党対立も影を落とした。鬼熊の元雇い主である五木田は憲政会系の地元有力者。鬼熊も選挙などの時に働いた。そうしたことから「鬼熊事件と政争」という記事も登場。

「(鬼熊は)嘗て憲政会の為に運動したることありたりと云ふ訳にて政友会方面に於ては彼を捕縛するが為かくの如く時日を遷延する所以のものは県の警察部長始め当局者が彼等を保護するが為なりと称しつつあり」という見方を紹介した(9月17日、房総日日新聞)。

 五木田と対立関係にあったとされる政友会議員の護衛などのため、政友会院外団の大物が現地に駆け付けたともいう。静かな村は上を下への大騒ぎ。一部の新聞は、殉職した河野巡査への義援金募集のキャンペーンを繰り広げた。