「平成」から「令和」への代替わりが近付いている。93年前、昭和への代替わり直前だった1926(大正15)年夏、千葉県の小さな農村で起きた連続放火殺人事件は日本全国の注目を集め、海外の新聞も報道。大きく変化していく時代の一面を浮き彫りにした。当時の状況が現在と類似しているという指摘もある。
「鬼熊」の名を人々の記憶に残した事件は、正確な文献・資料が少なく、未解明の部分も多い。警察の捜査関係資料をもとに、当時の新聞記事の内容などを加えて再現する。
肌寒い夏の夜の惨劇
千葉県北東部の香取郡久賀村(現・多古町)は、現在は成田空港から最短で数キロの都心通勤圏だが、当時は田んぼと畑の周囲に広大な山林と原野が広がる静かな農村だった。事件の5年前の統計で563戸、人口3450人。大正最後となった1926年は、8月に入って気温の変化が激しかった。気象庁の記録によれば、千葉県東端の銚子の最高気温は、8月18日の30.0度から19日は21.5度に急降下。18日午後からの雨は19日昼すぎに上がったが、北東の風で夏にしては肌寒かった。
事件が起きたのは、日付が変わって間もない8月20日午前0時半ごろ。久賀村・高津原地区にある居酒屋「上州屋」は、かやぶきで農家そのままの造りだった。
客で荷馬車引きの岩淵熊次郎(35)が突然立ち上がり、「よくも俺の面に泥を塗ったな!」と叫んで、店の経営者夫婦の孫で酌婦の吉沢ケイ(27)の髪をつかんだ。庭先に引きずり出し、殴る蹴るの暴行を加えたうえ、土間に積んであったマキの1本をつかんで頭を殴った。「キャッ」と叫んだケイに何度も殴打を加えて殺害。止めようとしたケイの祖母(68)にも頭などに重傷を負わせた。
「種雄、出てこい! この間の礼に来た!」
その後、約300メートル離れた農家の菅沢寅松(25)の家に行って所在を聞き、父親が「寅はいない」と答えると、マッチを出させた。それを持って農家・菅沢種雄(42)の自宅に押し掛け、「種雄、出てこい! この間の礼に来た!」と怒鳴った。家人が驚いて外へ逃げ出すと、家に火を付けた。駆け付けた村の消防組員が消火しようとしたが、「火を消すと承知しないぞ」と大声で叫び、組員2人を鍬で殴ってけがを負わせた。
続いて、駐在の向後国松巡査が事件の知らせを受けて出掛け、無人になっていた村の駐在所に侵入。巡査のサーベルを盗み出した。午前3時ごろ、次浦地区の農家・岩井長松(49)宅を訪れ、「ちょっと開けてくれ。急用ができた」と声を掛けた。戸を開けて顔を出した長松にサーベルで切り付け、表によろけ出て逃げようとしたところをさらに2、3回サーベルを振り下ろして殺した。