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「もっと作る経験を積みたい」と思い、いまは東京で大きな会社のお手伝いをしています。加藤造園では日本庭園の仕事がほとんどだったので、東京にきて、洋風のお庭の仕事の割合が増えて、それは少し寂しいんですけどね。

木と人に向き合う日々

――町の造園屋さんから、いまは大きな会社で庭師を。他に働き方で変わったことはあるのでしょうか。

村雨 加藤造園の頃は、従業員として黙々と木と向き合っていればよかったのですが(笑)、いまは庭を新しくつくりたいお客さんや、リフォームしたいというお客さんの相談を受けて、具体的な案をご提案する業務もあります。たとえば、このお庭にはこの資材を使うととてもいいと思うんだけれども、少し費用が高い。そうしたときに、お客さんにいかにその魅力を伝えて、納得してもらえるか……提案力やコミュニケーション能力というんでしょうか、そういう部分に難しさを感じます。

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 さらに、会社では利益率はどれぐらい取れているのかだとか、これだけの仕入れに対して、この値段でいいのかなどの決まりがあって、数字にも意識的でないといけない。そういうところも勉強になっています。

"日本にしかないもの"に魅了された

――ご出身はスウェーデンですよね。日本に興味を持ったきっかけはなんですか。

村雨 中学の世界史の授業で、平安時代から第2次世界大戦までの日本の歴史を学んだ際に心惹かれました。鎖国をして外国に影響されなかった期間が長かったからか、自分の知っているどの国の文化からもかけ離れていて、日本にあるものはどこを探してもないという印象を持ちました。当時の自分にとってはものすごくエキゾチックに思えたんです。

「敵に塩を送る」の語源となった、上杉謙信が困窮していた敵将の武田信玄に塩を送ったエピソードなどが印象に残っていますね。なぜわざわざ敵を助けたんだろう、とすごく気になった記憶があります。

――ご著書の『僕は庭師になった』では、その頃から、日本語や、日本文化について勉強するようになった、と書いています。

村雨 Yahoo!チャットで日本の人を見つけて、直接やり取りをするようになりました。

 

――すごい行動力ですね!

村雨 僕が生まれ育った場所ってすごく孤立してたんですよ(笑)。スウェーデンの一番南にある、スコーネ地方の郊外で生まれ育ったんですけど、映画を観に行くにもバスで片道40分かけて行かなきゃいけないような田舎でした。周りには畑しかなくて、友人と遊ぶとしたら、自然の中で遊ぶか、町に1軒だけあるレンタルビデオ屋さんでビデオを借りてきて、みんなで見るというような。