そんな田舎だったから、日本語を勉強するにも図書館くらいしかリソースがない。だったら、ネットで日本人と知り合おう、と。スウェーデンって人口が少ないんですが、ITの発達が世界トップクラスに早かったので、パソコンやIT環境の面ですごく恵まれていた、というのもありました。
――その後、19歳で来日し、就職。その若さで外国で仕事をするのは、なかなか勇気がいることだったのでは?
村雨 ひたすら日本語や日本文化のことばかり勉強していたので、日本でやりたいことがすでにいっぱいありました。頭の中で妄想が膨らんで膨らんで、行きたいという気持ちが爆発して、行った形です(笑)。すでにホームステイで3ヶ月ほど日本に行っていたし、両親にも「大人になったら行くから」と言ってあったので、周囲の人も特にびっくりはしていませんでした。
当初の目標は「自立して暮らせること」。まずは名古屋で4年間、語学教師として働きました。
親方から学んだ、自分自身に問い続ける姿勢
――そこから造園業に入ったきっかけはなんだったのでしょう。
村雨 日本の伝統に関わる仕事がしたい、という気持ちは、来日した当初からあったんですよね。たまたま求人を出していた造園屋さんで期間限定のアルバイトを始めたことが、造園業に入ったきっかけです。アルバイトの期間が終わっても、造園業に携わりたいという気持ちに変わりはなかったので、加藤造園へ改めて弟子入りしました。
――昔ながらの徒弟制度を経験されたわけですが、徒弟制度に対して感じることはありますか?
村雨 徒弟制度と言っても、親方次第で変わる部分がどうしても多いので一概には言えないのですが、親方のセンスだとかを受け継ぐには、多少効率が悪いところがあっても、いい制度だと思うんです。
僕が加藤造園の親方から学んだことで一番大事だと思ったのは、安易に自分の仕事に納得するのではなく、「本当にこれでいいのか」「もうちょっと直せるところはないのか」と自分自身に問い続ける姿勢。僕は結構大ざっぱな性格なので、本来はパパっとやって、パパっと仕上げたい。でも、親方は基本をすごく大事にする人なので、まずは時間がかかってもいいのできれいにする、常に安全を心がける、ということを教えてくれました。親方から「やり直しだ」とダメ出しを受ける経験がなかったら、いまの庭師としての自分はいなかったと思っています。