NHKの番組『みんなで筋肉体操』に出演し、一躍時の人となった庭師の村雨辰剛さん(30)。スウェーデンで生まれ育った村雨さんは、19歳のときに日本に移住し、23歳から庭師の道へ。26歳で日本国籍を取得し、帰化。独特の経歴を持つ村雨さんに、庭師という仕事への思いと、筋肉について伺った。

 

「エッ、なんでテレビに出ている人が来たの?」

――『筋肉体操』へのご出演が話題になりましたね。反響の大きさを感じることはありますか?

村雨辰剛さん(以下、村雨) ありますね。普通に街を歩いていても、結構気づかれるようになって。以前は、庭のしごとをしているときに「『昼めし旅』に出てますよね」と声をかけられたり、割とコアな層に届いているなと感じることはあったんですけど(笑)。

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 でも、今でも庭師の格好をしているときに声をかけられることがやっぱり多いです。庭のしごとに伺うと、「エッ、なんでテレビに出ている人が来たの?」とびっくりされることも結構あります。

 

――タレント活動の機会が増えた今も、庭師のお仕事を続けていらっしゃるのですね。

村雨 もちろんです! タレント活動も、日本庭園について発信する機会のひとつと考えているので、両者の区別はあまり意識していませんけどね。

庭師のはじまりは「弟子入り」

――改めて、「庭師」のしごとがどのようなものかを教えてください。

村雨 「庭師」と言うと、町の造園屋さんや植木屋さんで働いている人をイメージすると思いますが、設計施工と管理が主な仕事です。個人邸のお庭の依頼があったときに、設計をして、図面通りに施工したり、すでにある庭に年に1回か2回、メンテナンスに伺います。

 大きな会社になっている造園屋さんの場合、街路樹や、街並みの植栽帯の設計施工や管理といった仕事もあります。

――村雨さんはどういった働き方をされているのですか?

村雨 最初は愛知県西尾市の加藤造園さんのもとに弟子入りし、5年間働いていました。西尾市は城下町だったので、武家屋敷や古いお寺が多く、庭文化が残っている場所です。ただ、土地柄もあり、既存のお客さんのお庭の管理の仕事が多く、新規の設計や施工の仕事は少なかった。