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「教会にかたちばかりの懺悔をしてほしいんじゃない。私以外にも被害者はいたはずで、きちんと調査をしてほしい。そして、被害者に謝罪してほしいんです」

――1月のインタビューの際、竹中さんはそう繰り返していた。直接の被害だけではない。その後も長年、辛い記憶によって人生を狂わされてきたからだ。

 虐待の記憶を失った竹中さんは、結婚、子育てを始めてまもない30代半ば、唐突にその大部分について鮮明な記憶を取り戻した。記憶に空白があった時期には悪夢を見てはうつ症状に苦しんだが、記憶を取り戻してからは鮮明な性行為のイメージが不規則に脳裏を占拠するようになり、仕事が手につかない時期も過した。

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©広野真嗣

「今も添い寝と称して自室に連れ込む職員がいる」という声が力に

 転機となったのは、45歳の頃だ。気持ちの整理のために匿名で書きつけていたブログを読んだ東京サレジオ学園の関係者から、「今も添い寝と称して自室に連れ込む職員がいる」という声を耳にした。過去と対峙する気構えで自らの体験を手紙に書き送ったが、教会――学園、修道会(サレジオ会)、中央協議会はいずれも、本格的な調査に乗り出すことはなかった。

「修道会の責任者は話を聞く機会こそ用意したけれど、祈りますというだけで責任を引き受けているように見えなかった。訴えを諦めるのを待っていたのではないか」(竹中さん)

 憤って東京大司教座があるカテドラル関口教会の前でビラ配りをしたこともあるが、紙に記した被害実例が自分であるとは書けなかった。名前を明かすことで公務員の仕事を追われ、家族の暮らしを脅かすことを恐れたという。

 こうして性的虐待は被害者から当たり前の人生を奪うのである。