30歳のときは、結婚を諦めていました
――misonoさんはNosukeさんに出会うまで、結婚は諦めていたそうですね。
misono 30歳のときに、はじめて「恋愛はもういい」と思って、両親に「孫の顔は諦めてね。1人で生きていくことに決めた」と言っていたんです。当時お付き合いしていた人といろいろあって、ドン底の精神状態でした。そんな中、Nosukeに出会った。Nosukeは全部misonoに合わせてくれる。だからmisonoは、結婚しても変わることなく、よりmisonoを貫けました。
――そもそも、子どもたちのために歌おうと思うようになったのはなぜなんですか?
misono 子どもたちはネットニュースを見ていないから、純粋な気持ちで音楽を聴いてくれる。「misono」というフィルターがかからないんです。親のいない子どもたちの施設でも歌ったんですが、ピュアな子たちばかりでこちらが元気をもらいました。子どもたちの無邪気な笑顔は、本当に力になります。これからの未来を作るのは子どもたち。彼らのために何かやりたいと思うんです。
毎日してしまうエゴサーチ
――転職をしたり、新しい働き方を考える人は増えています。事務所を辞めることは、ある意味では働き方を変えるきっかけになりますよね。
misono 17歳から34歳まで芸能界で生き残れたのは、自分の実力じゃなくて、周りのひとのおかげだと思っています。ヘキサゴン(「クイズ!ヘキサゴン」フジテレビ系)の司会をやっていた島田紳助さんの力だとか、姉の七光り(歌手の倖田來未)と言われることもありましたが、いまはもう紳助さんも引退され、メディアでも「倖田來未の妹」とは書かれなくなりました。事務所を退社したのは、しがらみから解放されたいという思いもあったんです。これからは全部、自分の力で1人でやっていくんだって。環境や人のせいにも出来なくなるので、何かあっても自分の責任だって納得も出来るし。それでも、つい「自分なんか」って思ってしまいますし、エゴサーチも毎日してしまう。自分も変わらなければならないと思っています。友人からは「自分で自分の価値を下げすぎじゃない? もう少し自分に自信をもっていいんじゃない?」と言われます。
「一度ぜんぶ飛ばしてしまおうかな」と思った
――Nosukeさんとパーソナリティを務めるラジオの新番組も始まりますね。
misono オフがないので、何回か断っていたのですが、Nosukeも出演できるならと、引き受けました。Nosukeの面白さが出るような構成になっています。夏には、自分が主演で「ロックオペラ」にも出演する予定です。自分はアドリブが大の苦手で、台本どおり忠実にやりたくて、稽古中はそれ以外何も手がつかなくなってしまうので、これまで舞台のお仕事は断り続けていました。でも、主演だけでなく、審査員としてオーディションから参加させてもらえると聞き、やることに決めました。いま、音楽業界が不況で、CDも売れない中、歌いたくても歌えない子がたくさんいるんです。夢をみられず、なくなく歌うことを諦めてしまった子たちに歌う機会ができたら、と思っています。
――いま、芸能人が活動を一時的に休んで「小休止」する人も増えていますが、misonoさんは休もうと思うことはありませんか?
misono 正直一度ぜんぶ飛ばして海外に逃げてしまおうかなって思ったことは何度もあります。でも、そういう時に限ってありがたいことに、やりたいと思ってしまうお仕事をいただけて(笑)。でもどうなんだろう。自分の中では「もう34」なんですよ。でも「まだ34じゃん」って言われるんです。これからは、この半年で得たことを活かして日々を過ごしたい、過ごさなきゃいけないと思っています。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
ヘアメイク=大西トモユキ
misono(ミソノ) /アーティスト・タレント。1984年10月13日生まれ、京都府出身。B型。夫はロックバンド「HighsidE」のドラマー・Nosuke、姉は歌手の倖田來未。2002年8月、「day after tomorrow」のボーカリストとして活動をスタート。活動を休止した後、ソロアーティストmisonoとして再デビュー。音楽活動の他、バラエティやモノマネ番組、声優、女優としても活躍。活動を海外に広げている。4月19日からNosukeと2人でレギュラーラジオ番組「misoNosu家」がスタート。7月13~15日に上演するロックオペラ「ライフパスファインダー2019」で、主演とオーディションの審査員を務める。