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介護を見ていて、していて、思うこと

 そういう人たちを、日本語もそこまで満足に話せない外国人の方々が、介護の実習という名目でお手伝いしている姿も普通になってきました。何というか、見ていて辛い。でも言葉も通じぬ異国に来て年寄りの世話を甲斐甲斐しくやっているのを見ると、万一、私が介護される側の人間だったらどう思うでしょう。あるいは、日本がこのまま衰退して、私の子や孫が日本では喰えなくて、どこか別の国に出稼ぎに行って、そこで暮らしてきた高齢者の汚物を拭いて回る日がきたりするのかと思うとこれはこれでさらに辛い気持ちになります。

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 そりゃあ、親戚一同高齢者が病気をし、高齢者となって介護が必要だとなれば、まあできることはするわけですよ。よたよた歩いていれば心配もするし、術後の経過が悪くて熱を出したとなればどこか良いところはないかと病院を探したり、車椅子を押したり買い物に付き合ったりもする。私に限らず、同じく介護をしている人たちは、仕事を辞めて貯金を取り崩しながら親の面倒を見ているケースがほとんどで、しかし、それは介護を受ける側も面倒を見てくれる家族がいるだけまだ幸せで、施設にいる結構な割合の高齢者は、面会に来る親族もなく、ただ一人ぼっちで知らない人に囲まれてそのときが来るのを待っている。そりゃあ、喧嘩もしたくなりますよ。他の高齢者にマウントの一つも取りたいでしょう。

 そんな中で『ライフ・シフト』とか言われるわけです。ああ、うん。まあ、80歳でも90歳でも元気で働ける人は良いよね。2007年に生まれた日本人の半分が107歳まで生きるとするなら、残りの半分はどうなるのでしょう。

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 また、107歳まで生きるとして、何歳まで元気で、どこからが介護が必要な年齢になると思いますか。長く生きる時代が来て、確かに高齢になっても働けて富や付加価値を生み出し納税して社会に貢献できる人はいるかもしれないけど、でも最後の何年間かはつらい時期を送ることもあるのですよ。あるいは、伴侶に先立たれてたった一人で暮らしていくことも覚悟しなければならない。

『ライフ・シフト』は大事だけれど、それが福音になっていろんな人生、ライフスタイルを選択できる人は一部であって、大多数はやっぱりカネがなくて冴えなくて病気がちで家族にも恵まれないかもしれない老後を送ることになるのです。もちろん、働ける人は自己決定権の保障された民主主義の日本で頑張って生産的なことをやりたいとなれば、それはやればいいと思うんです。でもそれって、30代、40代、50代のうちに「こうでありたい」とあるべき未来を願ったとしてもその通りになるとは限らないわけでね。

子どもたちの人生を罰ゲームにしないために

 でも、私がいま直面しているのは、働くことのできない高齢者たちの姿であり、そういう高齢者が死んでいくのを死ぬときまでお世話している日本人や外国人の若い男女であり、そしてそういう高齢者は家族から切り離されているか、あるいは家族のぬくもりを感じることもなく独身のまま社会から放り投げられて無縁の人として消えていく運命にある。どうしようもないことではあるのだけど、人生100年あると思って生きていける人はそれで良いとして、そうでない人をどうにかしないとこの社会はやっていけないんじゃないのかなあって、介護をしていて思います。

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 それは、拙宅山本家で言えば2009年以降に生まれた三兄弟が、概ね半分の確率で歩むであろうこれからの100年を、私たちがどうバトンタッチしていくのか、ちゃんと考えているのか? という問いにすら、まだたいした結論も出せていないんだよなあ、という暗い気持ちになるのです。

 だって、せっかく長くなるであろう子どもたちの人生を罰ゲームにしたくないですし。

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