ネットは「面白いものが普通に作れる場所」
<片岡飛鳥は2009年から人事異動で現場を離れ、2012年からはコンテンツ事業局へ異動。そこで立ち上げられたネット配信番組『めちゃ×ユルんでるッ!』は岡村隆史の単独MCのもと、インターネットならではの大胆な機動力や24時間生配信などの企画で世界一の視聴回数をあげるなどたちまち人気コンテンツに。テレビディレクターである片岡のネットでの試みは、現在のAbemaTVやアマゾンプライムの源流ともいえるものであった。
こうして早い時期からメディアをまたいで演出してきた片岡は今日の地上波とインターネットの“境界線”をどう感じているのか?>
コンテンツ事業局に異動した2年間で、『めちゃユル』を立ち上げるんですけど、異動先は制作セクションではなかったので、あれ? ディレクターがいない、と(笑)。じゃあ、俺がシャレでやっちゃうかって始めてみたら、ものすごく楽しくて。僕と岡村と辻(稔)カメラマン(※3)の“インターネットごっこ”なんだけど、見ている人たちの反応が初期の『めちゃイケ』を見ているようだと。『めちゃイケ』をやっているときって、演者に指示するとき、最初はカンペを書いていたんですけど、それじゃ間に合わないからカメラの脇からバンバン喋っていたんですね。でもそれはできるだけ編集で切っていた。『めちゃユル』は、そんな僕の声がまんま放送されちゃうんだけど…うん、なにか粗削りの良さというか、確かにこれって『めちゃイケ』の原点だなって。
結局、始めてみてすぐにインターネットもテレビも、面白さの基準は何も変わらないなと思ったんですよ。同じなんです。「テレビじゃなくてネットですからね。ちょっと特別に……」みたいに、その“境界線”をフリに使うことぐらいはある。でも、見てる人たちがバリアフリーで行き来している以上は、その面白さにもそれほど段差はない。すごく当たり前ですけど面白いことしか面白くないんですよね、ネットもテレビも。
だから「おー! インターネットだぜ」という開放感が先に立って、「とにかく過激に」みたいな演出だけで走るとややズレるかもしれない。もっと普通、良い意味での普通。ネットは「面白いものが普通に作れる」という演出の原点が味わえる場所だと思う。この貴重なメディアを、今はみんなで大切に使った方がいいですよね。テレビの守り過ぎがテレビのためにならないように、ネットの攻め過ぎもネットのためにはならないような気がします。
でも今やインターネットからアカデミー賞が出ちゃうんですよ! めっちゃ夢あるよなあ(笑)。作り手が自分の出口を自分で決める時代なんですよね。
(※Netflixで配信された映画『ROMA』が2019年アカデミー賞、監督賞など3部門を受賞した)