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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

『めちゃイケ』は「演出家・片岡飛鳥」のドキュメントでもあった

<『めちゃイケ』は出演者の「人生」をドキュメントにした番組だ。

 けれど、それは出演者だけではない。「演出家・片岡飛鳥」の人生もまた如実に映し出していたものだったのだ。

 冒頭の「なんでも話しますよ」と言う言葉通り、長時間にわたりこちらの質問に丁寧に答え続けた片岡。その一言一言には妥協なきこだわりがあり、穏やかでありながら、迫力を感じさせる表情の奥からは「この取材をする覚悟はどう?」と僕にプロとしての意思確認を迫っているかのようだった。

 だからこそ、その膨大なテープ起こしを記事として構成するときには「片岡飛鳥インタビューの決定版」にしたい、いや、しなければならないというプレッシャーを感じ続けた。片岡の真意に耳を澄ませるように原稿をブラッシュアップしていくのは想像を越えて刺激的で、ほんの少しかもしれないけれど『めちゃイケ』の「血の味」の一端を味わえたのではないかと思う。それは、僕の今後のライター稼業どころか人生の血肉になっていく予感さえしている。

 取材前から片岡の「過去を振り返るだけの話はあまりしたくない」との意思は聞いていた。事実、彼の「光と影」を包み隠さず明かした言葉の数々は決してテレビ業界の回顧録にはとどまらず、常に“明日”を向いていた。それらはきっと読んでくださった方たちの明日を照らす生きる言葉にもなるはずだ。そしてこの編集後記を書き終えた今、僕はこう思っている。

 テレビディレクターは本当に強いんだ、と。

 てれびのスキマ(戸部田 誠)>

『めちゃイケ』メンバーと出会った1992年から、ずっと一緒に番組を作ってきた――それは長い長い青春だったのだ。ロングインタビューにはそんな鮮烈な印象が残る。「テレビへの恩返し」と片岡は最後に語ったが、『めちゃイケ』世代にとっても、総監督の言葉は大きな贈り物になったのではないだろうか ©文藝春秋

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#1 『めちゃイケ』片岡飛鳥の告白「山本圭壱との再会は最後の宿題だった」
#2 「岡村さん、『めちゃイケ』…終わります」 片岡飛鳥が“22年間の最後”を決意した日
#3 「早く紳助さん連れて来いよ!」 『ひょうきん族』で片岡飛鳥が怒鳴られ続けた新人時代 
#4 「飛鳥さん、起きてください!」 『いいとも』8000回の歴史で唯一“やらかした”ディレクターに
#5 「160cmもないでしょ?」『めちゃイケ』片岡飛鳥と“無名の”岡村隆史、27年前の出会いとは
#6 「ブスをビジネスにする――光浦靖子は発明をした」『めちゃイケ』片岡飛鳥の回想
#7 「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか
#8 「加藤のマラソンが間に合わない…」『27時間テレビ』片岡飛鳥がナイナイの前で泣いた日
#9 
「僕が岡村を休養まで追い詰めた…」『めちゃイケ』片岡飛鳥の自責と“打ち切りの危機”
#10 「最高33.2%、最低4.5%」『めちゃイケ』歴代視聴率のエグい振り幅――フジ片岡飛鳥の告白

※1 坂元裕二…1967年生まれの脚本家。『東京ラブストーリー』、『Mother』、『それでも、生きてゆく』、『カルテット』など。昨年はテレビドラマの執筆を一時休止して初の舞台『またここか』の戯曲に挑戦。
※2 加地倫三…1969年生まれ。92年にテレビ朝日入社後、スポーツのディレクターを経験。バラエティ班に異動後は『リングの魂』、『ナイナイナ』などに参加。現在は『ロンドンハーツ』、『アメトーーク!』、『テレビ千鳥』、『霜降りバラエティ』を手がけている。
※3 辻稔…1967年生まれ。バラエティ番組で「カメラワークの笑い」を生み出すフリーのカメラマン。『新しい波』から『めちゃイケ』までカメラマンを歴任。加地倫三からの信頼も厚く『アメトーーク!』も担当。近年はDA PUMP、郷ひろみ、T-SQUAREなどのアーティストに請われてミュージックライブの撮影にも参加している。
※4 桜庭和志…1969年生まれのプロレスラー。99~00年に当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族を相手に 格闘技イベント「PRIDE」で 4連勝。片岡が話しているのは、97年、プロレスラーが総合格闘技に参戦すると惨敗が続いていた時代に「UFC Japan」ヘビー級トーナメントで優勝し「プロレスラーは本当は強いんです」とマイクアピール。プロレスを愛するファンを熱狂させたエピソード。

聞き手・構成=てれびのスキマ(戸部田誠)
写真=文藝春秋(人物=松本輝一)

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