文春オンライン

「日本に捨てられ、韓国に救われた」就職氷河期世代の私――ある団塊ジュニアの見た平成

2019/04/29
note

「死ぬよりはまし」で加速し始めた運

 日本人を始め、外国人が住むのは難しいと言われる韓国だが、私は意外とすんなり馴染むことができた。日本語と文法や単語が似ている韓国語も数ヶ月でマスターし、地元の人々との交流なども楽しむことができた。「死ぬよりはまし」という気持ちで日本を出てきたため、とにかく目の前にあることは、どんなことでもあるがままに受け入れていたことが功を奏したのだろう。そんな心構えになっていることに気づいてから、私の運は追い風に煽られるように加速し始めた。

 

 韓国に住んで4年目の秋、休暇でハワイに滞在した。オアフ島在住の知人と食事をした際、同席していた知人の友人の不動産会社の社長が私を気に入り、ちょうど日本人の顧客のメールの翻訳業務をやっていた人が辞めたので、その仕事をする気はないかと聞いてきた。場所はマウイ島で、就労ビザも出すという。私はハワイでの転職を決め、韓国に戻り、ソウルのアメリカ大使館でビザを申請した。その後のことをざっくりと説明すると、マウイ島に移住して不動産会社に就職し、4年後に退職、オアフ島に引っ越して書店に就職した後、本土出身のアメリカ人と結婚して永住権を取得した。それから書店を辞め、在住日本人向けの新聞にフリーランス契約で雇ってもらい、ライターになって現在に至る。

 就職氷河期に敗者の方へ回ってしまった団塊ジュニア世代の人たちが、精神を病み、20年以上も家に引きこもり、70代の親に心労をかけながら社会の底の闇の中で蠢いている。彼らがおかれている境遇について、今はメディアの情報から推察するしかないが、20年前の私がもう少しで陥ったかもしれない情況を投影していることは間違いない。それを思うとやりきれない。令和という新時代が、彼らにも光明を見せてくれることを祈って止まない。

「日本に捨てられ、韓国に救われた」就職氷河期世代の私――ある団塊ジュニアの見た平成

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー