「外れるのはカズ、三浦カズ……」
サッカーがもはや日常になった平成中期、後期と、日常を超えて社会現象になっていた平成初期とは時代的な背景も違う。平成5年(1993年)にJリーグが開幕して、ドーハの悲劇、マイアミの奇跡、ジョホールバルの歓喜と、歴史的なシーンが続いていた。
日本中の関心を集めた平成10年(1998年)、フランスワールドカップのメンバー選考で大会直前、カズこと三浦知良がリストから外れた。
「外れるのはカズ、三浦カズ……」
スーパースターのサプライズ落選に、世間は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。朝のワイドショーから取り上げられ、ニュースはカズ落選一色になった。
ドーハもジョホールバルも経験してついに夢の舞台……のはずだった
銀髪(
「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきたと思っているんで、みんなには絶対頑張ってもらいたいと思います」
しびれる言葉であった。
日本代表で活躍してワールドカップに出場する目標を胸に、平成2年(1990年)にブラジルの名門サントスからJSL(日本サッカーリーグ)の読売クラブに移籍。カズの存在が日本サッカーの人気を高め、日本サッカーのレベルを押し上げた。Jリーグ開幕も、ドーハも、ジョホールバルも経験して、ついに夢の舞台に立とうとしたそのときに悲劇は起こった。
想像もできないくらい、打ちひしがれているなかで、誰があのような言葉が出てくると想像したであろうか。
「誇りと魂は置いてきた」には日本代表のプライドに懸けて全力で取り組んできたという激しいほどの自負と、それとともに日本代表に対する尊敬が込められていた。ショックを受けているチームメイトに対してハッパを掛けている言葉であり、かつ、「メンバーのみんなとともにある」というメッセージとも受け取れる。
あらゆる感情と思いが、あの短い言葉に含まれていた。つくられたセリフではない。カズしか出せない言葉であった。