毎年11月が巡ってくるたびに胸を締め付けられるような思いにとらわれる。平成9年(1997年)晩秋のあの山一証券・野沢正平社長の記者会見の光景がよみがえってくるからだ。野沢社長の会見での男泣きをめぐり、その後、山一破たん関連の様々な本なども出ているが、あの日の会見であの言葉を引き出すきっかけとなったのは私の質問だった。

120分のテープが回り切った

 振り返ると、殺気立つ雰囲気の中で行われた長い会見だった。まだICレコーダーなどあまり使われていない時代。120分録音用のカセットテープが回りきったのを覚えているから、2時間以上は続いたのだろう。東京証券取引所の会議室をぶち抜いた大部屋は異様な熱気に包まれた。

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 私は新聞社の地方支局勤務を終え、本社の内勤を経たその年の9月に経済部に配属されたばかり。最初の担当が証券業界を扱う兜クラブで、山一証券担当の一人だった。まだ右も左もわからない。折あしく金融破綻が連鎖する中、先輩に毎日怒られながら兜町を回っていた。

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「会社がつぶれる瞬間をしっかり眼に焼き付けてくるんだ」

 そうした日々が続いた11月22日、3連休の初日に日本経済新聞に「山一証券自主廃業へ」と大スクープを抜かれる。巨大な横見出しが躍る紙面を見た時、息が止まるようなショックを受けた。打ちのめされ、自分の経済記者人生もそう長くないと覚悟した。その後は新人として、山一本社前の張り番やら、雑用をバタバタやらされながら、11月24日の自主廃業発表の会見を迎えた。満足に記事も書けない自分が会見に出てもしょうがないと思い、「クラブで留守番して、電話取りでもしています」と先輩記者に投げやりな言葉を吐いた。その瞬間に怒号を浴びた。

「会社がつぶれる瞬間をしっかり眼に焼き付けてくるんだ」

 その通りだった。