「死んでしまってやっと楽になる一生なんておれはやんだ」
と、一瞬、大根めしを炊きそうになりましたが、たしかに『おしん』で描かれているのは耐えるだけ、辛抱するだけの女性像ではありません。
幼いおしんは米問屋・加賀屋の米蔵を見て「おれたち小作は作った米を食べられねえのに、米を作らねえ加賀屋さんにはこんなにも米があるのか」と驚き、「商いってのはええもんだな。米作る小作などつまらねえ」と心に刻みます。
また、祖母が死んだときには「おれは母ちゃんやばんちゃんみたいに悲しい女にはならねえぞ、死んでしまってやっと楽になる一生なんておれはやんだ」「母ちゃん、おれ一生懸命働いて銭もうける」と新たに決意。この決意がのちの流通業界への参入に繋がっていくと思うとゾクゾクします。
耳障りの良いキャッチコピーより響くおしんの「生き様」
そして現代、令和。
なぜ今『おしん』が多くの視聴者から注目され、SNSでは視聴後の感想を語る「#おしんチャレンジ」というタグまで生まれて盛り上がっているのか。
その理由のひとつは、緻密に計算され、観る者にまったく媚びない橋田脚本の力強さと、それを長ぜりふを駆使して演じる俳優たちのすさまじさ。ああ、人間が生きるってこういうことなんだな、と、画面の向こうから訴えかけてくる力にガシガシ引き込まれます。
また、今が生きづらい時代だからこそ、おしんの生き方に希望を見る視聴者も多い気がします。「環境や境遇は本人の強い意志と行動で変えることができるのだ」と。
幼いおしんが加代の部屋で見たたくさんの本や華やかな着物、豪華なひな人形は、私たちが手の中にある板で垣間見る誰かのキラキラした生活と同じです。それらはすぐ近くにあるのに、決して自分のものではない。
でも、おしんは焦がれ憧れていたものを自分の力で手にしていく。その生き様に視聴者は胸打たれ、ハッシュタグをつけた感想をつぶやき、彼女を見守り、応援するのでしょう。
「一億総活躍」「女性が輝く時代」「多様性」……耳触りの良いキャッチコピーが世の中に溢れていても、それらが全然リアルに響いてこない令和の時代。だからこそ、おしんの真っ直ぐな眼差しと自分の手で世界を切り拓いて行く強さに私たちは惹かれ、気持ちを添わせるのかもしれません。