中曽根首相は「外国で聞いたのは初めてだ」とご機嫌
同じような音楽の活用は、戦後にも行なわれた。1983年5月、サミット出席のため、アメリカのウィリアムズバーグを訪れた中曽根康弘首相は、軍艦行進曲の演奏で迎えられた。同国の陸軍軍楽隊によるサプライズ演奏だった。
「守るも攻むるも黒鉄の」。軍艦行進曲は、旧海軍の制式行進曲だった。戦後は海上自衛隊にも継承された。
サミットで演奏されたのはこれがはじめてではなかったものの、中曽根の「不沈空母」発言などと相まって、その後、大きな注目を集めた。そのため、アメリカ側は「政治的意図はない」と釈明に追われなければならなかった。
ただ、当の中曽根はご機嫌だったという。「あれには驚いた。外国で聞いたのは初めてだ。27日が私の誕生日で、海軍記念日でもあったせいだろうか」。戦時中に海軍主計将校を務めた彼にとって、軍艦行進曲はとりわけ懐かしい曲であっただろう。
結果的に、中曽根とレーガン大統領との間には「ロン・ヤス関係」が築かれた。音楽ひとつで首脳の歓心が買えるのであれば安いものだった。
「万歳ナチス」は侮辱的?
日本だって、「音楽外交」では負けていない。1935年4月に満洲国皇帝の溥儀が来日したときも、また1938年にヒトラー・ユーゲントが来日したときも、さまざまな歓迎ソングが作られた。
なかでも、「万歳ヒットラー・ユーゲント」は強烈である。「燦たり輝くハーケンクロイツ」ではじまり、「万歳ヒットラー・ユーゲント、万歳ナチス」で終わる。これを、北原白秋が作詞したのだから驚かされる。
しかも、その作詞はひたすら真剣であり、政府や軍部に無理やりやらされたものではなかった。だからこそ白秋は、役所筋から「正確なドイツ語にするべき」と言われ、ラジオ放送で「万歳ヒトラユーウーゲン」「万歳ナチー」などと修正されたことに激怒した。「この日本の詩に、ドイツ生粋とやらでの巻舌などで横合から巻かれてなるものか」。
また、「ナチス」という言葉もドイツでは侮辱的なので、「ドイツ」などに差し替えてくれとの依頼もあったという。相手を喜ばしてこその歓迎ソング。国策の前では、文学者の怒りも蟷螂の斧だった。