5月末、令和初の国賓としてトランプ大統領が来日した。ゴルフや大相撲観戦など、至れり尽くせりの安倍首相の応対を、巧みな外交術と取るか、それとも見苦しい追従と取るかはさておき、外国首脳や使節の接遇は、古今東西でさまざまな工夫が凝らされてきた。ここでは「歓迎ソング」に着目して、5つの事例を紹介したい。

5月26日、大相撲夏場所の千秋楽を観戦する安倍晋三首相とトランプ大統領 ©AFP=時事

松岡洋右「初めて王侯の様な歓待を受けました」

 1941年3月、ベルリンを訪れた松岡洋右外相は驚いた。ヒトラーと共に総統官邸のバルコニーに出るや、愛国行進曲の大合唱で迎えられたからである。

「聳(そび)ゆる富士の姿こそ、金甌無欠(きんおうむけつ)揺るぎなき、我が日本の誇なれ」。

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 愛国行進曲は、日中戦争の初頭に「第二の国歌」をめざして作られた。当時の日本では知らぬものとていない曲だったが、ドイツではそうではなかった。ではなぜここで合唱されたのだろうか。

松岡洋右氏

 そこには、ゲッベルス宣伝相の粋な計らいがあった。「松岡を日本音楽で迎えよ」。その命が下ったのは演奏の36時間前。そこから、宣伝省の担当者が大急ぎで日本の音楽を調べ、日本大使館の協力も受けながら、当日の演奏に漕ぎ着けたという。

 松岡はこのような接遇に感激して、帰国後、昭和天皇に「初めて王侯の様な歓待を受けました」と報告した。「音楽外交」の奏功した瞬間だった。もっとも、天皇はその喜びようを、「別人の様に非常な独逸びいきになつた」「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と冷たく観察していたのだが。