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徴用工裁判の女闘士は、韓国で「遺族会の裏切り者」と批判されていた

ルポ・徴用工裁判「その不都合な真実」 #3

2019/05/30
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2700万ウォンのお金の行方がいまも使途不明のまま

 当初は被害者遺族として真面目に活動に取組んでいたというイ・ヒジャ氏。そんな彼女が数々のトラブルを起こすようになったのは、1990年代後半に入ってからだという。

 当時、日本の自治労が3000万ウォン(約300万円)の資金を提供して、戦争被害者・遺族や元慰安婦の人達が憩いの場とするケアセンター(以下、センター)がソウル市内に設置された。その管理、会計を任されていたのがイ・ヒジャ氏だった。

「ところが彼女は杜撰な管理を繰り返した結果、センターは半年あまりで閉鎖に追い込まれてしまったのです。被害者のための施設だったのに、それをイ・ヒジャはまったく重要視しなかったのです」(当時を知る関係者)

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 その後、センターの会計にも問題があることが発覚した。

「イ・ヒジャは施設の電話を利用して朝鮮総連関係者と頻繁に国際電話をかけており、70万ウォン(約7万円)もの電話料金がセンターに請求されてきた。また、センター解散時の精算も放置されたままで2700万ウォン(約270万円)のお金の行方がいまも使途不明のままとなっています」(同前)

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「日本の汚いお金は受取るな。返してください!」

 不必要に日韓関係を悪化させるような言動も当時から行っていた。1995年に設立されたアジア女性基金が元慰安婦に償い金を渡す事業を始めたときのことだ。

「イ・ヒジャ氏は元慰安婦のおばあさんたちに『日本の汚いお金は受取るな。返してください!』と恫喝して回ったのです。1996年に遺族会に日本政府から1億円の慰霊費用を出そうという計画があったときも、彼女は『日本は信用できない』と大反対し、その計画を潰してしまったのです」(アジア女性基金関係者)

 多くのトラブルを起こしたイ・ヒジャ氏は、遺族会と喧嘩別れをするような形で離れることになった。彼女が新たに活動の場としたのが民族問題研究所という団体だった。

 この民族問題研究所は、挺対協(現・日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)と並び称される反日市民団体で、盧武鉉政権時代に「親日人名辞典」を作成したことで知られている。

「『親日人名辞典』は日本統治時代に“親日活動”を行った人物を名簿化したもので、朴正熙元韓国大統領をはじめとした多くの保守派や著名人の名前が掲載された。これは親日派のレッテルを貼り社会的に糾弾対象とする魔女狩り的な運動で、中学、高校に1冊30万ウォン(約3万円)で販売され、広く配布されることになった。現在、ソウル市で問題になっている戦犯企業ステッカーにもつながる“日本ヘイト”活動の原点ともなった運動でした」(前出・ソウル特派員)