自身初のフォトエッセー『幻の哀愁おじさん』(文藝春秋)発売記念インタビュー後編。タモリの教え、さんまの薫陶、関根勤の寵愛……大物芸人から可愛がられすくすくと育った岩井ジョニ男。彼の芸能界生き残り戦略は「無理をしない」「流れに乗る」「年齢に逆らわない」といたってシンプル。しかしそこにはジョニ男にしか掴みとれなかったであろう人生哲学があった。オイルショック一本で生きる覚悟。岩井ジョニ男とは、令和の時代が待ち望んでいた“ネオ昭和芸人”である。 (#1より続く)

 

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「とんねるずさんやB21さんがいたショーパブで働きたい」

――ジョニ男さんは芸歴何年目なんですか。

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ジョニ男 これ難しい。やり始めたのはもう相当前、30年近く前なんですよ。最初の頃組んでた相方が病気になって辞めちゃって、ひとりになって。「これはもうしょうがない」ってタモリさんのところへ行き始めて。タモリさんの付き人時代も、何カ月に1回は舞台にひとりで立ったりしていたんですよ。「ドクターストップ岩井」という名前で。

――不吉な(笑)。

ジョニ男 ドクターストップ、ほんとにストップしちゃいましてね。タモリさんの付き人をしながらひとりでネタやってるのもなんか違うかなと。本気でやるんだったらタモリさんのところを卒業しなきゃダメだと思って。正しくは(芸歴は)そこからなのかなぁ。吉本さんは初舞台から数えるって言いますが、それだともう30年近くになりますね。

――タモリさんに出会う前は何を?

ジョニ男 とりあえず駆け落ちをした勢いで、故郷の千葉から歌舞伎町に出てきて。とんねるずさんやB21さんはショーパブで働いてたと『オールナイトニッポン』か何かで聴いてたんです。でもそのショーパブの店名が分からなかった。とりあえずわからないから、街ゆくホステスさんに「そういう店ないですか?」って聞いて回ってましたよ。

――刑事みたい。

 

「ナイストゥミーチュー」が生まれたワケ

ジョニ男 今思えば怖いですよ。それで、その中の何人かに教えてもらったお店に面接に行ったら、そこの社長が「いやいやいや、ナイストゥミーチュー、ナイストゥミーチュー」って。僕の「ナイストゥミーチュー」はそこからきてるんです。

――あれはショーパブの社長由来なんですね!

ジョニ男 「ナイストゥミーチュー」の次は「なによ金欲しいの?ビックになりたいの、君は」とか言って。「僕お笑い芸人になりたいんですけど」「いやいやお笑い芸人よりも、君だったらもう3カ月でベンツだよ」とか言われて。

――(笑)

ジョニ男 「いやいやいいねー。ナイストゥミーチュー、ナイストゥミーチュー。はい、合格。もう今日からいく?」って。そこから水割りの作り方とタバコの火のつけ方、ダンス、横浜ジルバとかね、教えてもらって。