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2019/06/13

「触れただけで切れるジャックナイフみたいだった」

 当時のサークルメンバーだった女性はこう証言する。

「進太郎君から『君はリンクスで何がしたいの?』『どう貢献できるの?』みたいな目標設定面談みたいなことを皆のいる前で普通に聞かれて、驚いた覚えがあります」

©文藝春秋

 牧歌的な雰囲気を求めて緩く楽しみたいメンバーもいる中、山田のやり方は一部でハレーションを生む。が、企業から集める広告収入は年間100万円近くに伸び、アクセス数も早稲田のサークルでは首位の1日1000件超となり、次第に全体が成長の喜びに包まれていった。別の2人の女性メンバーはこう言う。

「リンクスに入った頃の山田君は、触れただけで切れるジャックナイフみたいな印象。それがだんだん丸くなって、みんなをまとめていった」

「各責任者は自分の職掌をよく把握していて、かつ進太郎のモチベーションについて行っていて、組織として良好に機能しているように見えた。一メンバーとして、みんなすごいなと思っていました」

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サークルで得た初めての感覚

 山田も手応えを感じていた。

「今の自分に最も影響を与えた学生時代の要素は何だと思いますか?」

 その質問に山田はこう即答した。

「一番はサークルですね。代表になってやってみたら、意外とチームを作ったり、人と一緒に何かを成し遂げたりするって楽しいぞ、みたいな。初めての感覚でした」

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 それまでチームで喜びを感じたことはなかった。高校の部活でさえも。レギュラー入りなどの評価や練習の仕組みは出来上がっており、改善の余地があっても変わることはない。「コミュニケーション」が生かされるのは試合中くらいで、結局は個々人の努力に負う部分が大きい。勉強だってそう。だから、何事もなるべく一人でやりたい、と思っていた。その考えがサークルで一変した。

 自分は凡人だと思いながら、どこかにルサンチマンもあった。それを捨て、内に籠もるのではなく、優秀なメンバーとともに成長することの喜びや楽しさを知った。自分の山を築くというのはこういうことなのか。肌で理解できた。

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 この原体験が、その後の起業やメルカリの組織作りに通奏低音のように流れているのは言うまでもない。だが、山田の“もがき”はまだ、しばらく続くことになる。