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やり場のない怒りのニュースの果ての、やり場のない問題解決

 問題となる引きこもりにしても、単に「あそこのご家庭、お父さん立派なのに息子さんはアレね」とか指をさしてあれこれ言うこともあるものだから、引きこもり無職がさも悪いことであるかのような話になる。でも、日本社会にはそういう実社会と家庭の間に引きこもりが棲息できるスキマがあって、親が元気で何とかなっている間は夢を見ているぐらいの気持ちで生きていこうという人たちがいてもおかしくはないのです。

 しかしながら、2000年のネオ麦茶事件も今回の引きこもり問題も、いわば親の老境や本人の資質もあって、親ならば必ず言うであろう「お前、働けよ」がエスカレートして惨事になる家庭は少なくない。唯一世間との接点であったインターネットを奪われて凶行に及んだバスジャック事件も、隣の小学校の運動会がうるさいと激昂したことに危険を察知して名誉も地位もある父親に殺されてしまった引きこもりも、事件としてただ消化するには辛いほどの心の痛みを感じるのです。

 それは、社会が悪い政府が悪い教育が悪い家庭が悪い本人が悪いと悪いもの探しをしていても、もう本人が働かないまま中高年にまでなってしまったものをどうにかするには方法も見つからないかもしれないわけですよ。そして、そういう駄目な中高年や高齢者や引きこもりは社会からひっそりと見捨てられ、希望を抱くことなくただ残りの人生を消化試合のように済ませるだけの時間を社会の、部屋の片隅で送ることになる。

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©iStock.com

 このやり場のない怒りのニュースの果てに、やり場のない問題解決の道筋を私たちはどう考えていけばいいのかという判断を迫られているように思うんですよね。ジジイに車を運転させるな、引きこもりは早く家から出して仕事に就かせろと理想とする解決法はあるかもしれないけど、じゃあいったい具体的にどうするんだという。

 誰もが助けたい未来の輝く聖人君主ではなく、小汚く人間として扱いずらい終わってる駄目な人を積極的に助けなければ、このような問題は減らないし救いもないのでしょう。それを自分から進んで「駄目な人を救いたいのです」と言える人のほうこそ聖人であり、絶対数はとても少ない。

彼らのような存在にならないという保証はあるのか?

 たぶん、これらの問題が物凄く騒動として大きくなり、いい加減これはヤバいだろと言われるようになったのも、ニュースを他人事のように消化できるほど簡単ではなく、また自分の周囲にも頑固な高齢者や働かず引き籠もっている親族がいたりするから、「さすがにこれはそろそろどうにかせねば」と思う人たちが少なくないからなんでしょう。

「死にたいなら一人で死ねよ」という極端な議論もさることながら、全部社会が悪いというのも極論だし、しかし私たちの住む地域にどうしようもない人たちがいたときに彼らに手を差し伸べる余裕が私たちにあるか? また、私たちが彼らのような存在にならないという保証はあるのか? という問題も含めて、どうにか咀嚼をして解決に導いていかなければいけないんじゃないかと。

 何ともやりきれない事件を見るたびに「夢ならばどれほど良かったでしょう」というレモンの苦みを感じるわけであります。

※【編集部注】6月7日7:00に一部加筆修正しました。

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