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東京大学医学部OBが教授として派遣される「植民地」時代は終わった

「白い巨塔」が描いた日本の医学界の変化とは

2019/06/11

船尾教授「いやはや、最近は頭が痛いことが多くて」

東教授「船尾先生ともあろうお方が、どうなすったんですか?」

船尾教授「菊川君は優秀なんで、まぁ問題なく若くして金沢国際大学の教授にまでなってくれたんですが、教授は自校のOBから選ぶべきだなどという仲良しグループ的な風潮が幅を利かせ、東都大OBの医学部教授の数が減ってきてるんですよ」

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東教授「そうなんですか」

船尾教授「今回の浪速大の教授選で、私はそんな風潮に一石を投じたいと思っております。その大事な一石が君だ。菊川君」

菊川教授「ですが私は、金沢国際大学教授という今の立場に満足しています」

船尾教授「東都大医学部は、日本の医学界の頂点に君臨してきた。これからもそうあるべきなんだよ」

「医学界の頂点に君臨してきた」という船尾教授のセリフからもわかる通り、東都大学医学部のモデルは東京大学医学部なのですが、実は現実の東大も医学部教授に就くOBの数が減ってきているのです。

田宮二郎版の「白い巨塔」。教授選のイメージは「東大」VS「阪大」そのもの ©文藝春秋

東大OBが3人以上いないと医学校を設立することができなかった

 日本初の官立医科大学である東京大学医学部(旧東京帝国大学医学部)は、かつて、明治政府が採用したドイツ医学を普及させる特別な役割を担っていました。当時の政府は卒業者に無条件に医師免許を与えるなど様々な特権を与え、「東京帝国大学医学部出身者が、教官のなかに3人以上いないと医学校を設立することはできない」とまで指導していたそうです。

 その結果、東大医学部は他大学に多くの教授ポストを持っていました。ノンフィクション作家の保阪正康氏が1981年に出版した『大学医学部』(現代評論社)という本に、1980年の時点で各大学医学部の教授陣の中に、有力大学医学部のOBがどれだけいるかを調べた表が載っています。

*保阪正康『大学医学部』(現代評論社)から改変して引用 ©文藝春秋

もっとも東大OBの割合が多かった大学は88%

 それによると、もっとも東大OBの割合が多かったのが帝京大学で88%、次が順天堂大学で80%、3位が自治医科大学で77%でした。半数以上を東大OBの教授が占める大学が、東大自校を含め7校もあったのです。こうした大学は、事実上、東大の「植民地」になっていたと言っていいでしょう。