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連載昭和の35大事件

昭和天皇の不興を買い「切腹自殺」の田中義一総理とは――記者が語る「死」のお詫び

田中内閣の末路ほど見苦しいものはなかった。

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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「30万ビタ一文欠けてもいやだ」三瓶告発の前に消えた”告発”

 検事局の活動に気をよくした告発者側では更に追打をかけるように8月11日三瓶俊治の竹馬の友、陸軍予備飛行中尉川上親孝が田中、山梨両大将のほか陸軍大将軍事参議官菅野尚一陸軍少将、松木直亮四氏を機密費横領で吉益検事正に告発状を提出した。

 内容は告発人が陸軍官房室に三瓶を訪問した際、金庫内の現金1300万円と公債500円を目撃したこと、遠藤三瓶両主計が公債の利札整理している現場を数回目撃したと云うことのほか、公債買入れの日と取引銀行とを詳細に記述し金塊事件では第十四師団参謀長生沼昭次大佐が田中、山梨両大将と共謀して横領したものであると、三瓶告発状を補足した程度のものである。

 ところが川上は三瓶告発の前年大正14年5月頃この一件の材料を政友会に売込んでいるのである。久原房之助氏は2、3万円なら出そうと云い、内田信也氏等は15万円まで出そうと言ったが、30万円ビタ一文欠けてもいやだと不調に終った因縁づきの男である。従って三瓶告発が政友会を刺戟したことは大きいのである。

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必死の内閣倒壊運動と焦る政友会

 そうこうするうち涼風が立つ頃になると中央政界の雲行は急に険悪になって来た。大阪地方検事局が手をつけた松島遊廓移転問題の汚職事件に連座した憲政会の長老箕浦勝人氏は、角南予審判事の証人尋問に際し箕浦氏に不利な証言をしたと云うので総理大臣若槻礼次郎内務大臣川崎卓吉両氏を偽証罪で告訴したことと、大逆犯人朴烈、金子文子両名に係る立松予審判事の怪写真問題とを取上げて、必死の内閣倒壊運動を展開して内閣の土台骨を揺すぶり始めた。

金子文子とともに大逆犯人とされた朴烈氏

 これと同時に田中政友会総裁は床次政友本党総裁に対し両党の提携を申込んだ。政友本党は先ず朴烈問題のみに対し政府攻撃に協力を約したので、朴烈、ふみ子の怪写真問題は油を注いだように急に燃え上った。両党の非難は大逆犯人を予審検事室で写真撮影するさえ不穏当のところへ両名に対し恩赦を奏請するとは何事だと云う主張である。

 ここに至って政府側は如何に野党の気勢を挫くかの対策として、政権に飢えている政友本党に対しては政権盥廻しを匂わせ政友会に対しては告発事件の追及で鉾先を鈍らせようとした。時の司法大臣は憲政会でも策士を以て任じていた江木翼氏であった。

 この三党の鍔ぜり合いの中で一番重大な危機に直面していたのは政友会である。金蔓を土産物に総裁の椅子に坐って貰った田中総裁に機密費問題で万が一傷がつけばふらふら腰でいまにも倒れそうな憲政会内閣の政権は政友会を素通りして政友本党に行く公算は大である。しかも司法権は厳として行手に立塞がっている恰好である。政友会の焦燥は目も当てられぬ惨憺たる様相を呈していた。

 ところが10月30日の朝突如、石田検事が蒲田の田んぼの中で変死体となってあらわれた。当局は極力過失死を強調したに拘らず2、3日すると報知新聞は他殺らしいと報道した。吉益検事正は記者会見の際、他殺説を持出す者があると恐ろしい形相で『当局が百方手をつくして過失だと結論しているものを君達はどんな根拠があってそんなことを言うか』と噛みつくような見幕で叱りつけた。こうして新聞記者の耳を塞いで了った。かくて他殺説は全く表面から消え去ってしまった。(本号石田検事怪死事件参照)

 この突発的事件の為、金塊事件は、取調べに困難を来し、遂に、最近の造船汚職の指揮権発動の如く取止めと同様のものとなった。