でも、必ずしも、怒りと悲しみは別だとは思いません。根底に深い悲しみがあって、「どうにかしたい」「状況を変えたい」という強い思いから、怒りや憎しみになっていくのかもしれない。「その怒りや憎しみの根底には、悲しみがあるのでは?」と問いかけることで、排除や破壊に向かう一体感ではなく、共感的理解により、「悲しみ」に静かに寄り添うということができるのではないでしょうか。悲しみからの再生はそうした土壌から生まれるものだと思います。
犯罪被害者遺族が経験する、「自責の念」
――入江さんご自身も、妹さん一家を亡くした直後は、大きな怒りを感じたと伺いました。
入江 はい。なぜ、妹たちがこんな理不尽な目に、許せない、という気持ちがありました。
それから、意外に思われるかもしれませんが、自責の念が湧きあがり、自分を責め続けました。わたしの家族と妹の家族は、別棟ながら2世帯が1つの家族のように暮らしていたので、すぐ隣で起こった事件に、なぜ気づいてあげられなかったのか、と。なぜ、妹ではなく、わたしが生き残ってしまったのか、と。
――客観的に見ると、入江さんが自分を責める理由はないにもかかわらず……。
入江 この自責の念は、専門用語でサバイバーズ・ギルト(生存者の罪責感)とされるのですが、 災害や事故、事件に遭って生き残った人がしばしば感じるものです。
あとは、「恥」の意識。当時同居していた母から、事件との関わりを世間に知られたら、息子が学校でいじめられるかもしれない、夫は仕事を続けられなくなるかもしれないと強く心配され、母の気持ちを思い、被害者遺族であることは公表できずに、沈黙を守りました。
世間体を心配する母の言葉はその通りだと思いながら、同時に、「妹たちは何一つ悪いことをしていないのに」とモヤモヤする気持ちがあって。板挟みでした。
――これも、客観的には、入江さん一家が何かを恥じる理由はないように思われます。
入江 感じ方には世代間からくる差もあるかもしれませんね。昭和ひと桁生まれの母からすると、犯罪に巻き込まれてしまったこと自体が「穢れ」であり、「恥の意識」の源でした。それまで積み重ねてきたことが、すべてダメになってしまうくらいの感覚だったんだと思います。
母も母で、とても苦しんだと思います。晩年、母は目が見えなくなってしまったんですが、それからは「弱いことは恥だ」という感覚の矛先を、自分自身に向けるようになったんですね。そうすると、これも川崎や練馬の事件に関連して著名人の口から発せられた言葉を借りると、「自分は“不良品”なんじゃないか」という気持ちになってしまうわけで。
誰かを“不良品”と切り捨てる排除の意識は、自分に向けて返ってくることもあり、結果、生き辛い社会をつくってしまうのではないでしょうか。
こうした経験を人前で話したり、本に書いたりすると、「うちにも母子問題があります」というお手紙をもらうこともあります。世代間の「人権意識」のギャップの表われかもしれません。