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サルコジ大統領が日本側を激怒させた理由

 前任のサルコジ氏は中国との関係を重視し、日本にまったく関心がなかった。北海道洞爺湖サミット(2008年)の時、まだサミットが終わらない内に帰国の途に就き、日仏二国間会談を予定していた日本側を激怒させた。

サルコジ大統領夫妻 ©共同通信社

 国際会議以外は日本に来ようともしなかったサルコジ氏が、2011年3月の東日本大震災の直後、訪問した中国の後に日本に立ち寄りたいと伝えてきた。民主党政権の菅直人首相(当時)は「震災対応で難しい」と断った。「短時間でも」とフランスは執着した。「対応できない」と日本側は押し返した。こんなやり取りが3度続き、4度目に仕方なく「ごく短時間なら」と受け入れた。

 サルコジ氏は3時間、東京に滞在し、菅首相と短時間の会談をしてトンボ返りした。「困難な状況にある日本にいの一番に駆けつけ、支援を申し出た」とのパフォーマンス受けを狙ったのは間違いないだろうが、「大統領には日本と和解したい思いがあった」(仏紙)という。

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 次のオランド氏は社会党から大統領に当選したが、同党は選挙前にまとめた外交政策で「サルコジ氏は中国を重視する余り、価値を同じくする日本を軽視しすぎた」と批判。実際、同氏は対日重視へと外交を転換する。これを歓迎した日本は2013年6月、同氏を国賓で招いたのだ。フランス大統領が国賓で招かれたのは1996年のシラク大統領以来17年ぶりだった。

オランド大統領とヴァレリーさん ©getty

 日本に着いた翌日、皇居・宮殿前の東庭で歓迎式典がもたれ、この後、天皇、皇后(現在の上皇、上皇后)は宮殿内でオランド大統領、ヴァレリーさんと会見した。この時、美智子皇后とヴァレリーさんの間で余り知られてないやり取りがあった。

代表撮影

「ファーストネームでお呼びしてもいいですか」

 天皇と大統領が話している横で、美智子妃はヴァレリーさんにこう語りかけた。「ファーストネームでヴァレリーとお呼びしてもいいですか。私のこともミチコと呼んでください」。ヴァレリーさんは「とんでもありません。とても失礼で、私は『皇后さま』としかお呼びできません」と答えた。皇后はヴァレリーさんの気持ちを察すると、それ以上は求めなかった。

 私はこのことをヴァレリーさんがオランド大統領と事実婚関係を解消した後の2014年9月に出版した本で知った。『今この時に有り難う』というタイトルで、私はさっそく取り寄せた。政治記者として社会党幹部だった政治家のオランド氏との出会い、3人の子供を連れて夫と離婚し、同氏と事実婚関係を結んだこと、エリゼ宮での生活、そして破局と、赤裸々に綴っている。