1ページ目から読む
3/5ページ目

「天皇、皇后両陛下のおもてなしは魂を奪われるような思い出」

 本を読み進め、残り10ページほどになった最後の結びのところにきて手が止まった。

「国賓訪問にはいつも現実離れした側面というものがあります。消耗する役割のなかにも夢のようなひとときがあります。最も素晴らしいものは日本への国賓訪問で、天皇、皇后両陛下のおもてなしは魂を奪われるような思い出としていまも残っています」

「低所得者の地域で育った一少女が、日本の皇后から『ファーストネームでお呼びしてもいいですか。私のこともファーストネームで呼んでください』と言われようとは。私はとても失礼に思い『皇后さまとしかお呼びできません』と言いました。皇后は私がやっていることもいろいろ知っておられ、皇居を辞去するときカメラの放列の前で抱擁してくださいました」

ADVERTISEMENT

ヴァレリーさん ©getty

低所得者の地域で育った少女

 彼女はフランス中西部ロワール地方の貧しい家の生まれだ。父は子供時代の大戦末期、近くで炸裂した爆弾で片足を失った。そんな父と母、6人の姉妹弟に加えて祖母の9人の大家族で、父の障害者年金と、母がアイススケート場のチケットもぎりで稼ぐわずかなお金が暮らしを支えていた。

 ヴァレリーさんも中学生時代から、花屋で働く母を夜遅くまで手伝い、高校生になってからは、日曜日にアルバイトをした。成績はクラスで1番だったが、あるとき親しい友人に「母からあなたと付き合ってはダメだと言われた」と告げられた。ヴァレリーさんは低所得者用の低家賃集合住宅が固まる地域で暮らしていて、友人が住む一戸建ての集まる豊かな場所とは大通りを挟んで反対側にあった。「この言葉はいまなお私の心に傷となっている」と語っている。「低所得者の地域で育った少女」というのはこのことを指している。

ヴァレリーさんは政治記者だった ©getty

 本を読んでから10カ月後の2015年7月、私はヴァレリーさんにインタビューする機会を得た。フランスの人道支援団体「人間の絆(SPF)」は日本財団と東日本大震災の被災地支援を行っていて、SPFに同行してヴァレリーさんが来日すると聞いたからだ。インタビューを申し込むと、ヴァレリーさんは快く受けてくれた。