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「オッパイ揉む」「女買いたい」なぜ政治家が“下品力”を競う時代になったのか

「オッパイ揉む」「女買いたい」なぜ政治家が“下品力”を競う時代になったのか

佐藤優×片山杜秀“知の巨人”対談

note
 

片山 レトリックとしての「噛みつく」はあっても、本当に噛みついた政治家なり、思想家なりは記憶にありません。でも、今回は大事にならなかったといっても、そういう人間が少なくとも3度は選挙で選ばれたわけでしょう。

 平成初期に小選挙区制度を導入して二大政党制を夢見たわけだけど、結局、それが上手くいかないことがわかってきました。日本だけでなく、モデルとなったイギリスでも、機能しなくなっている。

 日本では二大政党制が崩れていって、小さな党がたくさんできつつある。そうした政治風土から、限られた人たちを相手にしてウケるような形で、特異な政治家が輩出しているという見方もできます。

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「下品であることが政治家の推進力にさえなっている」

佐藤 最近、九鬼周造のベストセラー『「いき」の構造』を読み直したんですね。そこには、いき(粋)の内在的要因には3つあると書かれている。1つは媚態。媚びること。2番目は意気地。3番目は諦め。

 媚態の部分は、現代の政治家も持っているんですよ。ところが意気地はだいたいない。3番目の諦めは、すぐに諦めちゃうタイプか、あるいはストーカー的にねちっこく追いかけてネットで絡んでくるか、の二通りに分かれる。

 この3要素のバランスが崩れていることをもって、現代日本人の病理を説明できると私は思っています。

 

片山 なるほど。まさに九鬼周造が考えたときの「粋」からはるか遠いところに、日本人は来てしまったかもしれませんね。3つのうちそれなりに残っているのは媚態しかないというわけですか。

佐藤 それによって、一種の下品力みたいなのが生まれていると思うんですよ。下品であることが政治家の推進力にさえなっている。

片山 お笑いのブーム以降の日本を象徴するのが下品力という言葉かもしれません。人からは尊敬されなくても、下品になれば生き残れる――。そうした方向性で進化していったのが、丸山氏だったとも言えそうですね。教養より、下品力が求められる時代というのは、何とも悲しい。