ラインを通じた会話で危機感が高まった
小田さんの家は、田んぼの中に造成された住宅団地にある。妻の実家が近くにあり、2009年に2階建てを新築して引っ越してきた。それまでは倉敷市内の別の地区や県外に住んでいた。
真備町は古くから水害に見舞われてきた土地だ。
特に小田さん宅や妻の実家がある川辺地区は、岡山三大河川の高梁(たかはし)川がすぐ近くを流れ、今回決壊した高梁川の支流・小田川が合流している。
「妻は小さい頃から何度も水害を経験してきたので、行政の避難情報が出たらすぐに逃げられるよう着替えなどを準備します」と、小田さんは語る。
だが、この日、小田さんが妻と3人の子を連れて避難に踏み切ったのは、市が真備町に避難勧告を出した午後10時より前だった。
ラインを通じた会話で危機感が高まっていたのに加え、団地内の住民同士で直接避難について話す機会があったからだ。
家に残って救助されたのは1人だけ
団地には10軒強が住んでいる。小田さんと同年代が多く、小中学生は13人もいる。同じ野球チームに属する子もいて、互いに仲がいい。
小田さんが会社の仲間とラインでやり取りをしていた頃、妻に「先に逃げるよ」と声を掛けていく家が出始めた。
「日本人は周りを気にします。特に仲のいい近所の家が逃げると、うちも逃げようかという気になります。しかも、団地の女性同士はラインでつながっていて、直接話す以外の情報交換も密でした」
小田さん一家が車で家を出た直後、会社のライン仲間の一人が「高梁川のすぐそばの集落に住んでいるお婆ちゃんと連絡が取れなくなった」と書き込んだ。「お婆ちゃん」はその後、無事が確認されるが、仲間は豪雨被害の状況や、小田さんの避難に役立つ情報を次々と書き込んでくれた。小田さんは迫り来る危機を肌で感じながら車を走らせた。
団地は翌7日の昼にかけて2階まで浸水した。家に残って救助されたのは、男性が1人だけだった。