「平成最悪」の豪雨災害となった西日本豪雨。昨年7月6日から8日にかけて、11府県で大雨特別警報が出され、死者・行方不明者は232人を数えた。あれから1年が経つ。
死者51人と最多の犠牲者を出した岡山県倉敷市真備町では逃げ遅れ、自宅から船で救助される人の映像が繰り返し流された。
だが、実際には子育て世代を中心に、早めに逃げて難を逃れた人が多かった。河川が氾濫する前から道路が渋滞し、避難所に入場制限するほどだったとはあまり知られていない。
なぜ、避難が早かったのか。
理由の一つはSNSだ。仲のいい友達同士、地域や会社の仲間同士が、危機意識を共有することで、人々の気持ちは「避難」へと傾いた。
豪雨災害では毎回のように、「避難指示が出ても、なかなか逃げてくれなかった」という防災関係者の嘆きを聞く。だが、「危ないかもしれない」「うちは逃げようかな」という“会話”が顔の見える範囲で行われれば、人々は避難へと行動を移す。それが証明された災害だった。
「大雨警報が出たね」「うちは逃げるよ」
あの日、昨年7月6日。
「午後8時から9時ぐらいでした。『大雨警報が出たね』と、誰かが言い出したんです」。真備町の会社員、小田祐三さん(42)は記憶をたどる。
情報共有アプリ「LINE(ライン)」にグループ登録していた会社の仲間7人のSNS上の会話だった。
「雨は当初、広島県の方が酷く降っていて、最初はそうした話題でした」と、小田さんは話す。
そのうち、仲間の1人が「うちは逃げるよ」と書き込んだ。
倉敷市から少し広島寄りの浅口市に住んでいる人だった。「裏山のため池が切れそうになって、避難の呼び掛けが始まった」のだという。
小田さんは少し不安になった。自分が住んでいる真備町は大丈夫なのか。