文春オンライン

「農業倉庫は建て直せても、自宅を再建できない」――西日本豪雨から1年。あまりに不条理な被災者支援

2019/07/07
note

「外が川のようになっとる!」

 河田さんは知らなかったが、末政川はその頃、200メートルほど下流で堤防が決壊していたのだ。しかし、河田さんの家には直接被害がなく、迫りつつあった「危機」に気づかなかった。

 河田さん宅には、2階建ての住宅が2軒あった。母屋で60代の両親が寝起きし、1年ほど前に建てた家では、河田さんと妻、小中学生の3人の子が暮らしていた。

「川を見に行った後、一度は避難しようと思いました。でも、眠っている両親を起こすのはしのびなく、妻子には2階で眠るように言って、私だけが1階のテレビや携帯電話で情報収集することにしました」

ADVERTISEMENT

末政川のほとりには、まだこのような家屋も(倉敷市真備町)

 ただ、疲れていたのだろう。午前2時頃に眠り込んでしまった。

「外が川のようになっとる!」。母屋の母親が掛けてきた携帯電話に起こされたのは午前5時頃だ。

 河田さんは寝ぼけ眼でトイレに立った。足元がぴちゃぴちゃする。

「ありゃ、便器じゃないところにしてしまったか」と下を見たら、水がそこまで来ていた。一気に目が覚めた。

「慌ててテレビやパソコンを2階に上げたのですが、増水のスピードが早くて、すぐに膝まで浸かりました。結局、ほとんど上げられないまま2階に避難しました」

屋根から落ちた父親を引っ張り上げる

 国交省の調査委員会の推定では、その2時間ほど前の午前3時20分頃、河田さん宅から3キロメートルほど離れた小田川の堤防が決壊した。濁流が押し寄せ、末政川を呑み込む形で一帯を浸水させた。

 水面の上昇は止まらない。2階も浸かりそうになった。母屋では両親が2階に避難していたが、新しい家の方が床が高かった。屋根伝いに移ってもらうことにした。

末政川の破堤箇所は復旧工事が進められている

 その途中で、父親がドボンと落ちた。たまたま流れが緩やかな場所だったので、すぐに浮かび上がり、河田さんが引っ張り上げた。

片づけても片づけても終わらない

 一家がボートで救助されたのは昼前だ。寝間着に裸足のまま、寺に収容され、岡山市に住む妹宅へ身を寄せた。そこで初めてテレビを見て、真備町が池のようになっているのを知った。

 水が引くと、妹の夫の車を借りて、片づけに通った。「もう茫然自失でした。片づけても片づけても終わりません」。河田さんはプロ野球の監督を務めた故星野仙一さんの母校・県立倉敷商業高校野球部の出身だ。「苦しい練習を思い出したら、社会人になってもたいていのことは乗り越えられました。でも、片づけほど辛い作業はありませんでした」と話す。