今でも7000人近くが仮設住宅暮らし
こうした悩みを抱える被災者は多い。水災保険に入っていなかった高齢者の中には帰還を諦め、息子や娘の家に身を寄せた人もいる。方針の決まらぬまま仮設住宅で暮らしている人。災害公営住宅に入るしかないと決断した人……。
自宅を建て直すにしても、少しでも安く上げるため、急に浸水した時の逃げ場がなくなるのは承知のうえで、平屋にする人が増えている。
「保険に入っていなかったのが悪いと言われれば、言葉が返せません」。河田さんはうつむく。
だが、真備町ではどれだけの人が戻るかが、復興のポイントになっている。被災前の昨年6月末、真備町の人口は2万2797人だった。それが今年6月末までに2224人減った。
ほとんどを真備町の被災者が占める倉敷市の仮設住宅暮らしは、同月末時点で6845人もいる。他にも親類宅に身を寄せている人がいるため、実際の避難者はもっと多い。このためスーパーなどは一部しか開いていない。住民の帰還が遅れれば遅れるほど、社会的なインフラの再開も遅れる。
あまりにもバランスを欠いた支援制度
一方、被災した農業者に対しては、トラクターなど機械の買い直しや、倉庫の建て直しで、国県市から最大9割の助成制度がある。真備町だけで365の農業者が利用申請した。
「農業はもうからないのに、機械が高い。助成がなければ再開できなかった」と何人もの農家が語る。確かに心強い制度だが、住宅再建支援とはあまりに差がある。
60代の農家は、洪水で失った農業機械を助成金で買い直した。しかし自宅は水災保険に入っておらず、仮設住宅から通いながら農業をしている。家は老後の蓄えをはたいて小さな平屋を建てるしかないという。政府の金融審議会が「老後、夫婦で2000万円の蓄えが必要」と試算する時代に、暮らしていけるのだろうか。
別の農家は「家が再建できなければ、倉庫を建てられず、機械も買い直せないと、営農再開を断念した仲間が何人もいる」と話す。
実は、河田さんも兼業の稲作農家だった。トラクター、田植機、コンバイン、乾燥機などを持っていたが、全て失った。再びそろえれば1000万円レベルの支出になる。9割の助成があっても自己負担は巨額だ。だから農業は再開しない。「1割」を出す余裕がないのに加え、これからは会社勤めとの両立が難しいと見切った。
大きな災害が続く時代。日頃から各自で十分な備えをするのが基本だろう。しかし、それだけでは済まない面も出始めている。地域を維持していくには何が必要か。議論を深める必要があるのではなかろうか。
写真=葉上太郎