フィナンシャル・タイムズ紙の記者が、多くの企業・組織が悩まされる縦割りの弊害を分析した書籍『サイロ・エフェクト』。日本人読者にとって興味深いのはソニーに関する分析だ。元ソニー・ミュージック社長が本書の評価を語りつつ、内側から見たソニーグループの「サイロ」、プレステ開発秘話、音楽配信ビジネスの裏話を明かす。
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――社内にサイロを作ったとされる出井氏ですが、社長に就任したとき、ソニーは創業から半世紀も経っていました。
その出井氏が99年にラスヴェガスで開催された展示会で、同じ機能で互換性のない二つのデジタル音楽プレイヤーを発表した。その後、さらにもう一つ、競合する可能性のある製品を発表。『サイロ・エフェクト』では、それをサイロの弊害にとらわれたソニーを象徴するエピソードとして描いています。
その3種類の端末のうち、ひとつに決めるのがトップの仕事です。商品を企画するのはトップではなく部下の仕事。部下が提案してきた多くの企画の中から、どれがヒットしそうなのか見極めて、ジャッジするのがトップの役割。
だから実のところ、サイロはいくらあってもいいのです。部下はみんな功名心にかられているわけだから、技術や情報を囲い込んでサイロを作るもの。でも、いくつものサイロから挙がってきた、いくつもの企画をトップがジャッジすればいいだけで、ジャッジができないということは、経営者としての才能がないということです。
選ぶ権利を持つ人間が、その権利を放棄してはいけません。そうした権利を最も持っているのがトップです。そのトップが権利を行使しないで市場にゆだね、「ユーザーの皆さん、お選びください」というのでは、ヒットはおぼつかないですよ。
ユーザーが選ぶのは、ソニーか、松下か、アップルかというメーカーがせいぜいで、それぞれの社内でどの製品を推すのかを決めるのはトップです。
それを、よく分からないからと会議で決めようとすれば、今度はジャッジが遅くなって、他社に先を越されてしまう。先ほども言ったように、新しい企業では創業者が絶対的な権力を持っているからジャッジが早いのです。
では、どのようにしてジャッジするのか。理論的に説明するのが難しいのですが、私たちは「鼻がきく」と表現していました。これは経営者にとって非常に重要な能力ですが、私の見るところ、ソニーのトップで鼻がきいたのは盛田、井深、大賀の3人だけ。その後の出井さん、ハワード・ストリンガーから現在の平井一夫さんにいたるまで全員だめ。鼻のきかないトップがいたらヒット商品は出ませんよ。
――鼻がきいた最後のトップ、大賀さんの功績はゲーム機「プレイステーション」の開発を後押ししたことだと本書にある。「ウォークマンのときと同じように、当初社内にはゲーム機に懐疑的な見方が強かった。そうした意見をねじ伏せたのが大賀だ」(p.84)と。ところが、丸山さんがいなければプレイステーションは世の中に出ていなかったとも聞きます。当時の経緯を教えてください。
プレイステーションの開発を最終的に決断したのが大賀さんであることは間違いありません。大賀さんと私、そしてソニーの課長だった久夛良木健。この3人のラインでソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を設立し、ゲーム事業への参入を進めていきました。
ただ正直いって、ここまでプレイステーションが巨大なビジネスになるとは思っていませんでした。
プレイステーションの開発が始まる以前から、私はソニー・ミュージックで細々とゲームを制作していました。そこへ任天堂のスーパーファミコンへCD-ROMドライブを付ける企画を進めていた久夛良木が、ソフトの制作を依頼してきた。ソニーグループでゲームソフトを制作していたのは、私たちだけだったので。それが久夛良木との縁の始まりです。
ところが久夛良木があまりに強引な交渉をしたものだから、任天堂との提携が決裂してしまった。そこで久夛良木は独自にゲーム機を開発するべきだと主張したのですが、反対ばかりでした。
反対理由もおかしなもので、そのころのゲーム産業は任天堂の天下だったから、「松下電器が相手ならともかく、もとは京都の花札屋だった任天堂と勝負して、もし負けたらどうするんだ」という。
足を引っ張る人があまりに多いので、私は会社に入って初めて社内政治をしましたよ。ソニー・ミュージックの役員だったので、ソニー・ミュージックの会長を兼務していた大賀さんと直接、話ができるルートがあった。それを使ったのです。課長だった久夛良木はトップと直接、話をすることはできません。彼の上には部長、役員と何層もありますから。