なぜ日本の会社で、天才は殺されてしまうのか? 『社長の条件』(経団連・中西宏明会長との共著)で、経済界に激震を走らせている冨山和彦氏。ベストセラー『天才を殺す凡人』著者の北野唯我氏とともに、日本型組織を徹底的に考察。
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天才スティーブ・ジョブズも、一度は殺された
北野 『天才を殺す凡人』は、創業社長が天才タイプのクリエイターである、という設定。けれども組織が大きくなり、自分では管理ができなくなったため、秀才タイプのMBAを出た賢い人に権限を委譲していく、というストーリーなんです。
ゼロからイチを生み出す時期が終わり、会社が成長していく次のフェーズであれば、天才タイプの自分より、秀才タイプのほうが向いているんじゃないか。創業社長は葛藤しつつも、経営権を委譲させます。しかし、この秀才タイプがクセ者で、組織からはクリエイティブさがどんどん失われていく。
決して秀才タイプがダメと言いたかったわけではないのですが、秀才が持っている再現性には、くれぐれも注意しないといけない。なぜなら、秀才は説明能力が圧倒的に高いので、天才を殺そうと思ったら、余裕で殺せてしまう。天才を追い詰めるためのロジックを作り、天才のことが理解できない多数の人々(=凡人)を煽動することができるからです。
冨山 そうでしょうね。それこそ株をたくさん持ってでもいない限り、天才タイプはすぐに殺されちゃうんですよ。スティーブ・ジョブズですら、一度は自分の会社から追い出されちゃったんですから。
ただ、オペレーション(改良)の部分がどんどん大きくなっていくと、途中でまたイノベーションのストレスがかかってくるんです。一つひとつのビジネスの寿命が短いから、オペレーショナルモードも、もう長くは続かない。アップルも結局そうなったため、ジョブズは復帰できたのです。
ある程度、先が見えてくると、また別のものを創業しないといけない。そのストレスが連続的にかかり続けるのが、じつは今の時代です。そうすると、天才と秀才がグシャグシャに、時間と空間で入れ替わりながら戦い続ける、ということを企業体としてやらないといけなくなるでしょうね。