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なぜ日本の会社では“天才タイプ”が殺されてしまうのか?

『社長の条件』冨山和彦氏×『天才を殺す凡人』北野唯我氏による “天才・秀才・凡人”対談#2

note

日本の企業の不振は、負け方が下手だから

北野 ひとつ、僕がずっと思っていたのは、日本人って、負け方が下手なんじゃないか、ということなんです。第二次世界大戦のときとかも、ボロボロになるまで負けてしまった。ゲームのルールが変わったときに、対応ができない。

 人口が増えているときは、10戦戦って8勝2敗みたいな、そういう状態ができたと思うんですけど、人口が減少している今は、基本が3勝7敗みたいなものだと思うんですね。つまり人口増減は「勝率を変えるゲームチェンジ」だということ。そうすると、7回の負けのダメージをいかに小さくして、3勝でなんとかペイしていくか、みたいな戦い方が必要なんだと思うんです。

 

冨山 負け方が下手なのは、連続的な集団が前提になっているからです。負けたことを潔く認めると、次に敗因分析が来る。そうすると、誰が悪い悪くないの、なんて話が始まる。あいつのせいだ、あれがいけなかった、という傷口に塩を塗るような議論になるわけです。

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 それは、引き続き同じ共同体で毎日顔を合わせて生きていくためには、やりたくない作業。だから、共同体内の調和とかカンファタビリティというのが優先される。一番いい方法は、負けたんだか何だか、わからないふうにしちゃおうぜ、という(笑)。

北野 ありそう(笑)。

冨山 でしょ(笑)。モヤモヤッとして、結局それは政府が悪い、みたいな、外因的なところに問題をすり替える。自分自身の構造的な敗因を分析しないから、もっと戦況は悪化していく。

「どうしてガダルカナルで負けたのか」というのを、本当の意味では分析していないから、ズルズル状況が悪化する。「精神力で負けた」みたいなわけのわからない話になっていく。太平洋戦争のときと同じような敗北を、電機メーカーや一部の自動車メーカーは繰り返してきたんですよ。同質性や連続性の病理です。