篠田正浩監督は、今年で八十八歳。米寿となる。それを記念してこの七月二十七日から、大阪の映画館「シネ・ヌーヴォ」にて特集上映が組まれることになった。
そこで本連載でも、それに合わせてしばらくは篠田監督作品を取り上げていきたい。
まず今回は『乾いた花』。若い頃の篠田の代表作の一つとされる映画だ。
一九五〇年代末から六〇年代前半にかけ、篠田は大島渚や吉田喜重といった同僚監督たちと並んで「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれる運動に身を投じる。そして、社会的・政治的なメッセージ性や前衛的な演出を前面に出した作品群を生み出していた。
ただ、他の監督の作品に比べて、篠田監督には際立った特徴がある。篠田作品は大島や吉田と同じく、強いメッセージ性や前衛性を帯びている。だが、それだけではない。どこか難解な彼らに比べて設定や展開は実に分かりやすく、エンターテイメント性に富んでいるのだ。そのため、製作当時の時代の空気から離れた現代の観客からしても、素直に楽しめる作りになっている。
本作も、そうだ。組のために対立する組の人間を刺したヤクザ・村木(池部良)が刑期を終えて刑務所から出てくるところから、物語は始まる。だが、出所してみると対立していた組と自分の親分とはいつの間にか手打ちをしていた。そのため、村木は孤立してしまい、居場所を失なう。そして止む無く、また親分に申し出て新たな敵に向かっていくことに。
篠田は《少し前まで戦っていたアメリカに国家が従ってしまったため、今度は新たにソ連に立ち向かわないといけない日本人の虚無》を村木に仮託したという。が、そうした背景から離れて今の目で見てみると、本作は実によく出来たヤクザ映画なのである。述べた通り、その展開も枷が効いていてドラマチックだし、演出も抑制が効いていてスタイリッシュ。東映が得意とする泥臭い任侠映画とはまた異なる魅力に溢れている。
キャラクターたちもいい。香港帰りの殺し屋(藤木孝)は絶えず不穏な空気を放ち続け、村木が惹かれていく美女・冴子(加賀まりこ)は眩(まばゆ)いばかりに可憐だ。
そして何より村木が素晴らしい。いつも鬱々と虚ろな目をして感情が表に出ない様は、まさにタイトルの通り「乾き」を体現している。それでいて、ヤクザとしての殺気や凄味も醸し出す――池部の見事な役作りである。そして、感情を殺して戦いに向かう姿のカッコよさたるや。
実はエンターテイメントとしても面白い篠田作品の魅力が凝縮された一本である。