ぼーっと海を眺める鉄道旅
五能線が“町の中”を走って、学生たちの乗り降りも多いのはこの木造駅やさらに先の鰺ケ沢駅あたりまで。鰺ケ沢駅は日本海に面した町にある駅で、江戸時代には津軽藩の積み出し港として大いに賑わったという。が、そんな面影も今は昔。ひっそりとした小さな町の駅である。そこでなんと10名近いご老人のグループが乗り込んできた。津軽をバスで旅しつつ、鯵ケ沢から深浦方面まで五能線の車窓も楽しむというプランのようだ。ここからはいよいよ日本海沿いを走る区間。千畳敷駅は目の前にその名の通り“千畳敷”と呼ばれるゴツゴツとした岩場の海岸があって、「リゾートしらかみ」ではしばらく停車してこの千畳敷を楽しむ時間が設けられることもあるとか。件のグループも「ああ、これがねえ」などと賑やかに車窓を楽しんでいた。
その後も、五能線はずっと日本海を見ながら走る。集落はポツポツで、何もないような海沿いの田舎町を駆けてゆく。だからこれといって語るべきところもないのだが、ぼーっと海を眺めながら旅ができるのは、鉄道ならではの魅力というべきだろう。海水浴のための砂浜はほとんどなくて、奇岩という表現がぴったりの岩場続きの海岸線。日本海の荒波に揉まれ続けた、力強い海岸線が車窓に続く。風合瀬・轟木・追良瀬などの駅名からも、強風や高波と戦い続けた町の歴史がしのばれる。
「太宰治のね、お宿があるんですって」
そして列車は、とりあえずの終点・深浦駅へ。到着したのは12時48分であった。ここから先に行くにはさらに列車を2時間も待たなければならない。こういう待ち時間があるのもローカル線の旅らしいところで、のんびりと駅のあたりを歩いて過ごすのがいいのだろう。ご年配のグループはタクシーに分乗して去っていった。「太宰治のね、お宿があるんですって」。グループの1人がこう言っていたので調べてみると、太宰が故郷の津軽地方を旅して記した小説『津軽』の中で、本当に宿泊した旅館が記念館として残っているのだとか。実際に太宰はこの『津軽』のために五能線に乗って深浦に来ているから、車窓からの風景も太宰が見たのとほとんど同じ(都会と比べて車窓に変化も少ないだろう)。そういう文学と掛け合わせた楽しみ方も、東北のローカル線らしいところである。
深浦で約2時間待って、乗り継いだのは14時32分発の東能代行き。深浦から2つ目の艫作という駅から20分ほど歩くと、日本海の波をかぶりながら波打ち際の露天風呂に浸かる「黄金崎不老ふ死温泉」。鉄分たっぷりの温泉が海水と混ざって酸化して、お湯の色は茶褐色。時間の都合で(五能線に乗るのが目的なのだからしかたない)入ることはできなかったが、こうした秘湯回りもローカル線との相性がいい。