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「次の対象」をマスコミに移そうする気なのだろうか

 今回の演説を聞き続けていると、これまでの小泉とは大きく違うところが2つあった。

 1つは、「マスコミ批判」だ。

 演説中、自分に向けられたテレビカメラを指さし、「マスコミの当落予想は当てにならない」と訴える。年金問題を語り出せば、「テレビや新聞の記者が来ているが、メディアが報じない大事なことがある」と説く。

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 分刻みで全国各地を移動する小泉に許される演説時間は、せいぜい15分。限られた中でも随所にマスコミ批判を挟んでくる。

「最近、おかしいと思いませんか。世の中を見ていても、毎日誰かを叩くことを探している。1人誰かがスキャンダルを出したら、徹底的に叩く。そして人は1週間で飽きる。飽きた後に今度は誰かのネタが出るのを待つ。また叩く。叩ききったら、また飽きる。次々と炎上すべき人を探して、非難すべき人を探して、全然自分と関係ないのに何か怒っている。関係ないじゃないですか。私はそういう社会を変えたい。

 学生時代を思い出しますよ。私が中学生の頃、学校でいじめがありました。見ていて嫌でしたね。1人、仲間内でいじめられる人が決まる。当時は『ハブる』と言った。その1人がハブる対象になって、その子のことをいじめ切った後に次の対象に移る。飽きたら次に行く。どんどん巡り巡って、いじめた側がこんどはいじめられる側になる。一体何だったんだろうか。今の社会、ネット上で次々に出てくる。どんどん叩く」(7月14日、新潟県新潟市での演説より)

 

 たしかに、これで聴衆は沸く。安倍批判をやめた小泉は、「次の対象」をマスコミに移そうとする気なのだろうか。父・純一郎は首相時代、マスコミを狡猾にコントロールしつつも、決して敵に回すことはしなかった。権力闘争や政策論争が政治の王道だとすれば、感情的なマスコミ批判は邪道だ。

被災県の会場では握手が3秒、5秒となる

 もう1つの変化は、「安全地帯」。これまでは「自民党をぶっ壊す」と言わんばかりに政権批判も辞さず、国民政党のあるべき姿を訴えてきた。東京五輪が終わる2020年9月6日の翌日から「国づくりを始める」と唱え、「未来の総理」のイメージを積極的に印象付けた。それが、今回は国家観はもちろん、年金以外の個別の政策についても一切触れない。

 北海道での遊説では「旭川が生んだ有名人は安全地帯の玉置浩二さん。だけど、選挙には安全地帯はありません」(7月12日、北海道旭川市)という発言もしていたが、まさに「安全地帯」を確保しながら台本通りに応援をこなす態度が目立った。

 象徴的だったのは、7月11日に茨城、福島、宮城の3県を回った時の様子だ。

「世襲の権化」として悪評を買っていた小泉が「次世代のリーダー」に変身を遂げた背景には、東日本大震災がある。発生直後、自ら支援物資を茨城県まで運んだ。それを皮切りに東北の被災地に幾度となく足を踏み入れ、熱心に慰問を続けてきた。それ以来、大型国政選挙の最中にある「月命日」の11日には、被災県の中で遊説するのが恒例となっている。

 普段、小泉は演説する前後に聴衆の元に出向いて握手をする。「よろしくお願いします」と言いながら手を握ること、1人当たり1秒。それが、被災県の会場では3秒、5秒となる。しかも、最前列に並んだ人だけを相手にするのではなく、自ら集団の中に飛び込むように柵を越え、じっくりとふれあう。