「原発」の2文字さえも口にしなかった
そして、マイクを握ったら被災者を励ます言葉を忘れない。
「東日本大震災の時、世界から称賛されたのは、私たち政治家ではなかったですよ。東北のみなさんでしたよ。避難している時、仮設住宅で暮らしている時、何度も避難を繰り返した時、一度も炊き出しの列で割り込まなかった。自分のことで精いっぱいのはずなのに、自分のことを考えずに支え合っている人たちを見て、世界は東北の人を称賛したんですよ。
この国は政治家が動かしてきたのではなく、国民が動かしてきた。われわれはみなさんの声をどこまで反映できるか。それが政治の力です。どこまでできるかが問われるのがこれからの難しい時代だから、この1議席は無駄にできません」
その場にいる聴衆からは自然と拍手が上がる。
だが、この日、小泉は大づかみのメッセージに徹していた。
2年後には復興庁が廃止される一方、いまだに故郷に戻れない被災者が多く存在する。いつもの小泉であれば、彼らの不安に寄り添おうとする誠実な態度を演説の中に盛り込んできたが、今回はスルー。「原発」の2文字さえも口にしなかった。
以前は福島県内で演説するたび、原発政策の転換を匂わせる主張もしていた。震災直後にあった2012年冬の衆院選の時、原発事故の避難者が数多く身を寄せていた郡山市での演説が、私の記憶の中にはっきりと残っている。
「原発政策は、私たち自民党が続けてきたんです。その中には反省しなくちゃいけないことがいっぱいあるんです。その反省なくして私たちは次の自民党を語れない」
その後の選挙でも、小泉は福島県内の選挙区に来援するたびに「反省」を口にしてきた。だが、今回はそれも聞くことができなかった。
公の場で「復興は全然進んでいない」
ダンプカーがひっきりなしに行き来する国道6号沿いの広大な更地には、いまだに除染時に出た汚染土が入る黒いフレコンバッグが積み上げられている。南相馬市での演説の後、行列の絶えないラーメン屋「双葉食堂」(当日は休業日)に立ち寄った小泉もその道すがら、痛々しい光景を目にしたはずだ。
だが、隣の宮城県内で地方議員を務める自民党関係者は私にこう話す。
「演説で突っ込んだことを言わないほうが、こっちとしてもかえって助かるんだ」
小泉は舌禍が少ない稀有な政治家だと自負しているようだ。前出の新潟ではこんなことを声高に叫んでいた。
「私だって、一言間違えばすぐに炎上。社会的に制裁されて、抹殺されて、政治的に生きていけなくなる可能性だってあるんです。よく、10年間、大きな失言なくやってきた。たまたまですよ。たまたまですよ」
一方で、被災地の政界関係者の間では違う評判が立っている。
復興政務官時代、ある自治体を訪ねた際、公の場で「復興は全然進んでいない」と言い出した。住民目線に立ったがゆえの箴言だったのだろうが、メンツを気にする役人や地元有力者たちの逆鱗に触れた。それをきっかけに、小泉のことを「扱いにくい議員」と言って憚らない地元のドンもいる。
小泉の全国行脚を追いかける最中、私が各地の自民党関係者たちに訊いてみた限りでは、「小泉人気」を否定する者はいない。だが、「戦の最中に『講談』を聞いている暇はない」と、突き放すある県連の幹部もいた。
明らかに以前よりも熱は冷めている。東日本大震災を経験した被災県でもそう感じた。