コーヒーショップで若い男が突然叫び声をあげ……
今から10年ほど前、『K・Nの悲劇』というホラー小説の下調べをしていた時のことだ。仕事場近くのコーヒーショップで精神医学の専門書を開き、「強直間代性痙攣」という症状について調べていた。これは、脳の電気信号がうまく伝わらなくなって起こる発作で、患者は全身の筋肉を強直させて意識を消失し、しばらくすると強直と脱力が繰り返される間代期に移行する。発作の開始時に叫び声を上げる場合もあり、これを「初期叫声」という――などといった知識を頭に入れていたら、若い男の叫び声が聞こえた。その声音は、夜道で物の怪に出会ったような驚愕の叫びを思わせた。何があったのかと医学書から目を上げると、カウンター席に座っていた男性客が腰を浮かし、そのまま後方の床に倒れ込むところだった。店員も、もう一人いた別の客も、驚いてその男性を見つめていたが、やがて私は、信じ難い思いで目を見張ることになる。
気絶した男性は両脚を突っ張り、肘と手首を折り曲げた体勢で全身を硬直させていた。強直間代性痙攣だった。たった今、書物で読んでいた症例が、突然、目の前に現れたのだ。
あまりにもあり得ない偶然に遭遇すると、思考の内部では偶然という概念が崩壊し、非合理な因果関係が作り上げられてしまう。つまり、自分が強直間代性痙攣について調べていたことが原因で、近くにいた人にその発作が起こってしまったのではないかと思えてしまうのだ。それを理性で否定しようとすると、今度は「そんな偶然が起こるはずがない」という思いから、目の前の出来事に疑念が生じてくる。現実そのものが起こり得ないはずの怪異になってしまい、これは本当のことなのかと、何度も自分の目や耳を疑ってしまうのだ。現実の認知に自信が持てなくなるというのは、得体の知れぬ恐怖を伴うことであった。
医者と勘違いされると困るので、私は医学書をバッグにしまい、意識を失っている男性に駆け寄った。店員と別の客も集まって来たので、3人で話し合い、すぐに救急車を呼ぼうということになった。救急隊の到着を待つ間、倒れている男性は専門書の解説の通りに、強直期から間代期へと移行していった。
とにかく、私が強直間代性痙攣の発作を目の当たりにしたのは、人生でただ1度きり、専門書を開いてこの症状について詳しく知ろうとしていた時だけなのである。こんな偶然が起こる確率は、一体どれくらいのものか。
そして今でも、あの時、自分が医学書を読んでいなかったらどうなっていただろう、などと余計なことを考えてしまうのである。
初出:オール読物 2013年8月号「極私的エッセイ 怖い!」より全文転載