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女性の受難劇

――『よこがお』は、理不尽な出来事に巻き込まれて不幸な立場に落ちていく女性の受難劇のようでもありますね。プレスに載った監督のインタビューでは、「現実の反映として、あえて女性の受難劇を書いた」ということをおっしゃっていましたが、女性の悲惨さを描くことについて、監督はどうお考えでしょうか。

深田 普段脚本を書く際は登場人物の性別を意識しないようにしています。ただ、たしかに、文学でも映画でも悲惨な目に遭うのはいつも女性たち。たとえば僕は以前、バルザックの小説をもとに『ざくろ屋敷』という作品を撮りましたが、これも恋に破れて死んでいく女性の話。フランス文学ってそういう話がとにかく多い。男性にとって未知のものとはすなわち女性である、という意味での探究心もあったんでしょうが、男性目線の下で女性の悲惨さが娯楽として消費されてきたとも言えるわけで、そのことへの疑問は抱えています。

©2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

 一方で、女性の側に立って女性を描くために男性よりも強い女性を描く、という流れに対しても疑問は感じていて。日活ロマンポルノでも強い女性として男勝りな女性が登場する話がよくあったんですが、それはそれで男性目線によるゆがみなんじゃないかと思うんです。今の日本社会を見ればわかるように、女性は社会においてどうしたって弱い立場にある。にもかかわらず、フィクションのなかでまるで女性のほうが強い立場にあるかのように描いてしまうのはどうなのかなと。もちろん理想としてそれを示し、いずれこうなるよう目指そうね、ということならいいかもしれないけど、結局ただのガス抜きになってしまうんじゃないかという思いがあって。

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 アメリカ映画でも、いわゆるポリティカル・コレクト(PC)によって黒人が会社の上層部の人間として多く登場するようになったときに、現実では黒人の人たちはなかなか社会進出が進んでいないのにこれではまるでアメリカ社会では人種差別は解決されているかのように見えてしまうのではないか、という批判があったそうです。そうしたイメージの拡散はある意味で危険だと思います。

――今の発言には少し驚きました。普段の深田監督の発言などを聞いていると、むしろアメリカ映画に象徴されるようなPC的な配慮については賛成されるのかと思っていたので。

深田 いや、もちろん大枠としては賛成なんです。マーベルシリーズも大好きですし。数千年にわたる差別を減らし男社会の価値観をたった百年で払拭するための荒療治として十分に有益だとは思っています。ただ、ロールモデルとして、強い女性や地位を得たマイノリティを当然のように描く映画が量産されることも、ある意味で短絡的なバランスの取り方なんじゃないかということです。たとえば溝口健二の『西鶴一代女』はまさに女性がどんどん不幸な境遇に追いやられていく受難劇ですが、これは原作者の井原西鶴が、当時の社会のなかで圧倒的に弱い立場にあった女性の境遇を忠実に描いていた面もあるわけです。PCももちろん大事だけれど、現実において弱い者は弱い者として、その現状を映画に率直に反映させることも重要だと思う。やはり芸術は現実の鏡ですから。

ふかだこうじ/1980年東京都生まれ。2016年、『淵に立つ』が第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞。17年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。18年、『海を駆ける』公開。同年、仏の芸術文化勲章「シュバリエ」受勲。『淵に立つ』、『海を駆ける』に続き本作の小説版も執筆。

INFORMATION

『よこがお』
7/26(金)より、角川シネマ有楽町、テアトル新宿他全国ロードショー
https://yokogao-movie.jp/