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金田正一と田淵幸一

 また、プロ野球の金田正一さんとの親交は深く、ハワイに行ったときも、向こうでご飯をご馳走になったりするなど、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。金田さんは輪島を語るうえでも重要な方です。

 世間では輪島の金遣いの荒さは金田さんからの影響だと言われることもあったようですが、金田さんのお人柄やお金の使い方を見ると、私にはそうは思えないのです。

 金田さんは決して派手な生活をしろとだけ話したのではなく、贅沢をするぶん、一生懸命に働かなければならないという、金田さんなりの豪快な生き方を語られたのだと思うのです。

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 ところが輪島はどうもそれをはき違えて、高級な外車に乗り、銀座で遊び回るという華美なところだけを実行してしまったと思うのです。もし金田さんに質せば、絶対に「わしゃ、そんなことは言っとらん!」とお怒りになるはずです。

 その一方で困った関係だったのは、西武ライオンズの田淵幸一さんです。

金田正一 ©春内順一/文藝春秋

 田淵さんと輪島は、たぶん銀座の飲み屋で知り合ったのだと思うのですが、いったい誰に言われたのか、田淵さんは交際中の私たちをけしかけ、結婚させようとしていました。

 あるとき当時の田淵夫人から突然電話がかかってきました。

「田淵幸一の妻の博子でございます」と言うと、しきりに輪島の長所をまくしたてるのです。こう仰いました。

「私たちは輪島さんの人柄をよく知ってますが、ほんとにいい方なんですよ。五月さん、もしお嫌いじゃなければぜひ一緒になられたらいいと思う」

 田淵博子さんのことはテレビや雑誌でお顔は拝見していましたが、それまで一面識もない女性です。ずいぶんとお節介な人だと思いましたが、なんとその電話を境にしょっちゅう中島家を訪れるようになったのです。そしてそのたびに私の両親と親しげに話していきます。

 ご主人の田淵幸一さんも、試合が終わった後に輪島と示し合わせて都内で食事をし、最後は銀座に繰り出していたようです。こうして田淵家と中島家は、見かけ上はいわば家族ぐるみのお付き合いとなったのです。

 ところが私たちの結婚が具体化し出したころ、今度は逆に田淵さんご夫妻の関係が怪しくなってきたのです。

 ある日の深夜のこと、田淵さんからうちの実家に突然電話がかかってきました。

「うちの博子はそっちにいませんか?」

 奥さんが家を出てしまったようで、ずいぶんと慌てていました。そんなことが何度かあって、ついに離婚調停へと進んでいくわけですが、田淵さんから輪島にたびたび相談の電話がかかってくるので、ついにうちの父が怒ってしまった。

「これから幸せになろうっていう娘がいるのに、よりによって離婚相談だなんていったいどういうつもりなんだ! こっちを巻き込むなと言っておけ!」

 そう輪島のマネージャーに怒鳴りつけていました。

 すったもんだの挙げ句、私たちの挙式が行われた同じ1月に、田淵夫妻の離婚は成立しました。新しい生活に臨もうという私にとって、田淵さんと言うと、そんな縁起の悪い記憶しかありません。