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暴力団、八百長、突然の引退……元妻が明かす“天才横綱”輪島大士の壮絶な真実

『真・輪島伝 番外の人』(廣済堂出版)

2019/08/09
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安倍晋三も招いた大披露宴

 輪島との結婚式は1981年1月29日のこと。大安の木曜日です。私は27歳、輪島は33歳のまだ現役の横綱でした。

 結婚披露宴が行われたのは東京プリンスホテルの「鳳凰の間」。前年の11月には俳優の三浦友和さんと歌手の山口百恵さんの挙式も行われた大宴会場です。

 スポーツ紙などによると、結婚式にかけた費用は1億5000万円、招待客は約3000人と報じられましたが、すべて父と輪島とで準備が進められていたので、私は式の詳細などさっぱり知らされていません。あれよあれよという間に当日を迎えてしまったというのが実情なのです。

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 最初は各一門の親方衆を中心とした相撲界のみの披露宴にするつもりでしたが、お世話になっている後援会の方々に不義理をしてはいけないという思いに加えて、芸能人や有名スポーツ選手好きの輪島が、お声をかけるうちにどんどんと規模が膨れあがっていったようなのです。

 披露宴にお招きした方々は多士済々です。

安倍一族。右端が岸信介、最後列が安倍晋太郎、左端で抱えられている子供が安倍晋三 ©樋口進/文藝春秋

 当時、輪島の後援会長をされていたご縁で、自由民主党の安倍晋太郎先生ご夫妻には媒酌の労をとっていただきました。披露宴に先立つ結納式は中島家で行われ、ご夫妻とともに当時お父様の秘書をされていた安倍晋三さんも阿佐谷に見えられました。

 結納は滞りなく終えられたのですが、当日は緊張しきりで、どんな会話をしたかなどほとんど憶えていないのです。ただ息子の晋三さんがお父様とともに終始笑顔でおられたことだけは記憶にあります。

 あとは元総理の福田赳夫先生。それから当時の横綱審議委員会委員だった稲葉修先生(元法相)もお招きしました。お相撲とお酒が好きで、花籠部屋にもよくお見えでした。トレードマークの羽織袴を召してうちの部屋にやってくると、一気に上がり座敷に灯りがともったようで、稽古場の雰囲気がパッと明るくなります。

 わが家でお食事していかれますが、楽しくお喋りをして、最後はいつもベロベロに酔っ払ってお帰りになります。私はそんな稲葉先生が大好きでした。結婚式のときは前年の選挙で下野されていましたが、以前と変わらず意気軒昂なのが嬉しかった。

 輪島の大タニマチといえば、佐川急便の佐川清会長と福島交通の小針曆二社長がいます。

佐川清 ©共同通信社

 どちらにより肩入れいただいたかといえば、小針さんのご長男の小針美雄さんがことに熱心でした。私たちが結婚したころはまだ羽振りがよかった福島交通ですから、後に経営破綻することなど想像もできませんでした。

 芸能界では勝新太郎さん、萬屋錦之介・淡路恵子ご夫妻、森繁久彌さん、芦田伸介さん、十朱幸代さん、小林旭さん、松方弘樹ご夫妻、関口宏ご夫妻、石坂浩二・浅丘ルリ子ご夫妻、ハナ肇さん、柳家小さん師匠、ディック・ミネさん、五木ひろしさん、千昌夫さんご夫妻などです。

 披露宴にご招待するに際して、事前に何人かご挨拶に伺ったのですが、石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんご夫妻は素敵なカップルでした。

 広尾の大きな邸宅にお住まいで、ローストビーフの作り方を石坂さんに教えていただきました。「いい肉を使わなくっちゃだめなんだよ」と仰います。料理の腕前はプロ級で、とにかく美味しかった。

 傍らの浅丘さんが「兵ちゃん(本名・武藤兵吉)の作るものはなんでも美味しいから」と仰っていたのをよく覚えています。

 石坂さんは多芸多才で、結婚のお祝いに横綱の絵を描いていただきました。博識で世間の様々なことをご存じの石坂さんとお付き合いしているのだから、もっといろんなことを教えてもらえば、輪島も知性や教養を磨けるのになぁと思ったものです。

 五木ひろしさんとも親しくしていました。輪島と同じ「ひろし」つながりで、結婚前からよく五木さんの自宅のパーティに満ちゃんの子供たちを連れて行ったみたいです。そう、後の若貴兄弟です。