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暴力団、八百長、突然の引退……元妻が明かす“天才横綱”輪島大士の壮絶な真実

『真・輪島伝 番外の人』(廣済堂出版)

2019/08/09
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結婚の2か月後に横綱引退

 私たちの披露宴は見栄ばかりが優先されていました。それを象徴するように、私のエンゲージリングは借り物でした。

 輪島のマネージャーをしていたのは日大相撲部の後輩ですが、その彼が知り合いの宝石商から借りてきたのが、5カラットものダイヤモンドリングでした。そんな大げさな指輪ですから、式が済んだらさっさと返してしまいました。

 結婚披露宴は輪島の故郷でも行いました。式は七尾のしきたりにのっとったもので、輪島の親族だけでなく、地元後援会員も列席された豪勢なものでした。けれどこれも輪島の地元後援会がスポンサーとなっているので、輪島の負担額はゼロです。

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輪島の結婚式 ©時事通信社

 それら2回の結婚披露宴で得られた収入は、すべての支払いを終えた後に父から預金通帳でもらいました。口座の残額は2000万円。そこから500万円を輪島の実家に贈ったのです。

 ところがあとで聞いたら、輪島がそれをすべて回収してしまったそうです。

 2月のハワイへの新婚旅行も、費用はフジテレビの『スター千一夜』という番組の制作費から出ています。

 それは関口宏さんの司会でゲストに石坂浩二さんを迎え、旅先とスタジオを衛星でつなぐという企画でした。日程はわずか4泊で、付け人や床山さんのほかにテレビクルーも帯同するわけで、いわゆるハネムーンにはほど遠い“新婚旅行”だったのです。

 とにかく見栄っ張りだけど身銭を切らないのが輪島です。

 でも2月といえば、次の3月場所が行われる大阪入りを目前に控えています。そんな時期にハワイに行くのですから、もう端っから相撲をとる気などなかったのです。

 しかも結婚してからというもの、毎晩飲みに出かけ、家に帰ってくるのは牛乳屋さんと同じくらいの明け方です。これは相撲を続ける気がないんだなと私は感じました。

 案の定、輪島は大阪場所2日目の土俵を最後に引退してしまいました。

 初土俵から11年、68場所目のことでした。横綱在位は47場所、幕内優勝は通算14回で歴代3位(現在は7位)という成績でした。学生出身力士が横綱になったのは史上初のこと。その記録はいまも破られていません。でも、もっとやれたはずなのです。

石坂浩二と浅丘ルリ子夫妻は輪島の結婚披露宴にも出席した ©共同通信社

 父はよくこう言っていました。

「あいつは稽古すればもっと強くなるのになぁ」

 先述したように、銀座のホステスの島津樹子さんに入れあげ、食事も喉を通らないくらい思い詰めたときに父は輪島に引退を迫りました。とにかく改心して相撲に専念してほしかったからなのですが、父の思いは届きませんでした。

 叱られたその場では反省の姿勢を見せるのですが、輪島は結局まったく変わらなかった。父の嘆きも輪島が引退するころには口にしなくなっていました。それでも14回も優勝してしまうのですから、やはり輪島は天才だったと言うべきなのでしょう。

 引退した理由は力の衰えももちろんあったのでしょうが、具体的なきっかけとなったのは父の停年で名跡の継承が具体化したこと。現役を続ける意欲がそれですっかり失せたのです。

 父にしても、場所後の3月22日には65歳を迎えており、協会を勇退することが決まっていました。部屋を残すためには、そこで名跡の継承が必要となるわけです。

 輪島による花籠名跡の継承は既定路線であるうえ、何より部屋の師匠はすぐに必要だったことから、引退即襲名の運びとなっていたのです。