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「剣道を6年間やって初段までいきました」

―― たしかに、女性アナウンサーは複数いましたが、彼女一人に罪が着せられ、反日感情のスケープゴートにされたと指摘する人もいます。

デーブ その後、恩赦されてるけど、僕が会ったのはその前だったね。

―― のちに日本のテレビで活躍するデーブさんが、日本のラジオに出たために悲劇に巻き込まれた「東京ローズ」と出会っていたというのは、面白いですね。その後も日本への関心は途切れることなく続いたんですか?

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デーブ ええ。16歳のときにはシカゴ日系人会主催の日本語弁論大会に出て、2年連続で優勝してます。

 

―― そのときのテーマが、「剣道と武士道精神」と「三島由紀夫の生涯と自殺」。そういった日本の精神性に興味を抱くきっかけは何だったんですか?

デーブ チャンバラじゃないかな。子どものころは、忍者を見てカッコイイって思うんですよ。それから時代劇を見るようになって、剣道も6年間やってました。シカゴに道場があって、日系人が教えてくれてたんです。初段までいきました。そういうのを経験してるから、いまだに日本が忍者屋敷で外国人観光客を誘致するとかやってると、冗談じゃないって思う。こっちは、どれくらい前からやってると思ってるんだって (笑)。

 

シカゴで毎年2月に『紅白歌合戦』を見ていた

―― マンガを読むほかに、毎年『紅白歌合戦』を見てたそうですが、どうやって見たんですか?

デーブ 日系人向けに16フィルムにして、外務省経由でまわってくるんです。ブラジルやハワイのような日系人の多いところから始まって、シカゴには2月くらいに来る。画質も音も悪いんだけどね。それを小さなリール式のテープレコーダーに録音するんですよ。『スパイ大作戦』で見たことない? それをずっと聴いてました。

―― そのころから日本の芸能界への興味は強かったんですね。

デーブ 外国人で、僕くらい日本のテレビに出ることに感動してる人はいないと思うよ。日本人以上だもん。美空ひばりさんや加山雄三さんに会ったときは、本当に感動した。ほかの外国人は、来日してからテレビで見て知ってるだけでしょう。だから、僕とは全然比較にならない。僕の場合は情熱があるかもしれない。

 

―― 初めて訪れたころの日本は、まだ貧しかったと思いますが、印象はどうでしたか?

デーブ 貧しいというか、これからという感じだったよね。『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代。がむしゃらで、団結してて、いい時代ですよ。次に日本に来るのは18歳のとき。上智大学に1年間留学して、すぐそこの四谷キャンパスに通ってました。でも、楽しい思い出はなかったね。

―― 当時、東京でもまだ外国人が珍しい時代ですよね。

デーブ 全然少なかった。街を歩いてて鏡を見ると、「あっ、外人だ」って自分でも驚くくらい(笑)。