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18歳で上智大に留学 デーブ・スペクターにあえて聞く「YOUは何しに日本へ?」

デーブ・スペクター「日本在住36年」インタビュー #2

2019/08/04
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「きつねそばが高くて食べられなかった」上智大留学時代

―― 留学時代は1年間のうちに何回も引っ越しをしたそうですが、外国人が部屋を借りるのは大変だったんじゃないですか?

デーブ 僕は9回引っ越してます。居候が多かったから、借りる苦労はしてない。でも、どこもあまり好きじゃなかった。お金もなかったから、英語教師のアルバイトをしたり、百科事典のセールスマンをしたこともあります。外人でそんなことする人いないから、けっこう売れたんですよ。でも、忍耐力がないから、向いてない。

 

―― 留学中に楽しい思い出がなかったというのは、どうしてですか?

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デーブ まあ、楽しい日もあったんですが、基本的にいろんなことがうまくいかなかった。お金ないとダメですよ。あのころは、あと5円出せばラーメンが食べられたことを覚えてます。でもラーメン食べたら地下鉄代が足りなくなって、新宿駅から歩いたりしてた。あと、かけそばもよく食べました。きつねそばは高くて食べられなくてね。だから「一杯のかけそば」の話も嘘じゃないと思うよ。それだけ貧しい人が多かったんですよ。

 

―― デーブさんに日本で苦労した時代があったというのは意外です。

デーブ そういう思い出があるから、テレビで年金とか貧困の問題を聞かれたとき、上から目線にはならないんですよ。いろんな立場の人がいるということは、わきまえないといけないと思います。

あえて日本を遠ざけた10年間

―― ワイドショーでのコメントに、そのときの経験が活きてるんですね。留学を終えて帰国してから、また日本に来るつもりはなかったんですか?

デーブ 帰国してからの10年間、日本に戻ることはありませんでした。日本のことはあくまでも趣味としてだけ残してた。シカゴで放送学校を卒業して、ロサンゼルスに出るんだけど、ロスには日本人のコミュニティもあったんです。でも、意図的に避けてました。日本のテレビを見ることもできたんだけど、ハマるのが自分で分かってるから見ないようにしてた。もともとは、アメリカのメディアで仕事がしたかったからね。

 

―― そのころは日本のマンガも読まなかった?

デーブ あんまり読んでない。でも、お金がなかったから、日本語の通訳は、アルバイトで少しだけやってました。

―― その後、アメリカでのキャリアは、順調にステップアップしていきますね。

デーブ アメリカのテレビの仕事は、ありがたいことに恵まれて、やりたいことができたんですよ。テレビ番組のライターをやったりした後、ABCテレビのプロデューサーになりました。そしたら、たまたま番組で日本に行くことになって、日本語ができる僕も行くことになった。それが今につながってます。それからの僕は、子ども時代の経験と、アメリカのメディアの仕事が、うまくミックスしてるんです。なんか運命に導かれたみたいだね。

#3 デーブさんへの疑問「日本人に帰化しない?」「アメリカに帰りたくない?」に続く)

 

写真=杉山秀樹/文藝春秋

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