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あの夏、この街の不気味さを再認識する機会があった

 ビルの外観は、両脇や正面に並ぶ雑居ビルよりずっと綺麗で、入居している飲み屋も活気がある。昼間こそ人通りも少なく、明るい光に照らされた看板がやや寂れた印象を齎(もたら)すが、嫌な噂のあるエレベーターは、夜になって実際に乗ってみれば想像よりずっと手入れが行き届いているし、階段は躊躇なく座れるほど磨かれ、エントランスの前には調子の良いことを言うスカウトマンが絶えずうろうろしているし、午前1時には閉店で追い出された女の子たちが、名残惜しそうにホストの後ろを歩いて出てくる。

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 私は夕方過ぎにホストクラブに向かう女の子たちよりも、深夜にホストクラブを出て、行くあてがあるのかないのか、街に放たれた瞬間の女の子たちの方がずっと魅力的に感じる。幾ばくかの後悔と、自分の期待に添えなかった自分への申し訳ないという気持ち、それを一瞬は覆す楽しい記憶、「今日」を終わらせてまた続けていかねばならない日々への気だるさ、浮き足立っていないふりをするのに必死な足取り、そしてこの街を歩く女のどれだけが自分より不幸で、自分はこの街で何番目にマシな時間を過ごしているかを訝しむ視線、そのどれもが露骨に混ざって、東京の中にできたジャングルのような街は徐々に少し遅めの日の終わりを迎えようとするのだ。

 その喧騒が好きで私は、自分が働くことのなくなったその街に、今でも時々足を向ける。それでも頻度は随分少なくなった。「卒業」した直後はほとんど毎日のように用もないその街を歩き、かつての顔見知りとつながっているふりをして、街にいるはずだった自分にしがみついてた。ちょうどそんな頃、この街の不気味さを再認識する機会があった。

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「えーーー絶対嘘でしょ」と叫んだ、夜の情報誌の編集者

 街の色々な場所から異臭が漂い、世間はお盆休みに入りかけていたその日、夜の世界とは関係のない、くだらない仕事を終えて一度家に帰り、たまたま連絡をくれた夜の情報誌の編集者と連れだって、街の中心部にあるガラス張りの喫茶店に入った。数年前にホストクラブに関する規制が厳しくなって、深夜の営業ではなく、夕方から午前1時までと、日の出から昼前までの営業が一般的になっていた。編集ライターと言っても彼女自身が元々はこの街のホステスで、現職を選んだ理由だって、お金をもらってホストクラブの取材ができる、と断言するようないい加減な若い女だった。

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 彼女は昨日カメラマンとともに取材に行ったRビルに入るホストクラブの店内を写した写真の出来が悪いことに腹を立てていて、今日の営業終了時間にカメラマンのみを再撮に向かわせると話した。間も無く日付が変わる頃で、喫茶店には少し早めにホストクラブを出て感想を言い合っている、初心者の若い女の子たちが3人ほど入ってきていた。

 私たちは、かつて働いていたキャバクラ店のナンバーワン嬢が結婚した話などをだらだらとして、次第にガラス張りの店の外は、客を送り出すキャバ嬢やホストのアフターを待つ女たち、タクシーを止めようとするホストなどで賑わい出した。その編集者の携帯が鳴り、彼女の対応を見て、相手は再度撮影に向かわされたカメラマンなのだろうと思いながら、私が化粧を直そうとポーチを取り出したところで、彼女が「えーーー絶対嘘でしょ」と大げさな声を出した。