撮影すべきホストクラブの店内が燃えている
カメラマンの電話は「今日は撮影ができない」という内容だったようだが、その理由は、自分の遅刻でも店とのトラブルでも機材の故障でもなく、撮影すべき店内が燃えている、なんていう、にわかには信じがたいものだった。ほどなくして喫茶店に現れたカメラマンは、特別ショックを受けているようでもなく、参りました、と凹んだ様子で、編集者の彼女もまた、叱るのも可哀想だし笑ってやるかという態度で、その2人の向こう側の窓の外は、やはり今日も、幾ばくかの後悔と明日への気だるさを両手に持って足取りも不安定に女の子たちがたくさん歩いていた。
後日、編集者の彼女と、Rビルの別の店に通う私の友人から聞いた話によると、カメラマンの説明は間違ってはいないものの、事件は火事なんて呼べるものではなく、閉店間際にホストと揉めた客の女の子が化繊のストールに火をつけたところ、思いの外大きな炎が上がって焦った従業員が使い慣れない消火器で消した、というのが実際のところらしかった。なんとなく気になって行ってみたそのビルはやはり次の日の夕方にはすっかり綺麗で賑やかで、自分より悲惨な噂話が大好きな女の子たちが笑いながら事の顛末を話しているだろうことは想像できても、続いていくその街の日常を揺るがすものではないようだった。
燃えたのがストール1枚と紙ナプキン数枚であっても
たまたまビルの下にいた、何度か話した事のある、ビル最上階に入居していた店の社長になんとなくそんな話をしたが、毎日店に顔を出しているわけでもない彼は、そもそもそんな事件を知らなかった。結果的に燃えたのがストール1枚とテーブルに出ていた紙ナプキン数枚であっても、店に好んで通う客が衝動的に火を放つのも、それを瞬時に笑い話にする編集者も、何事もなかったようにアフターや自宅に向かったであろうホストたちも、中でなにが起ころうと堂々と存在感を放つビルも、そんなことが起こる街から誰も逃げ出さないように見えるのも、気味が悪いと思った。午前1時に街を徘徊する女の子たちが、何かの拍子に暴力的になるのも怖かったし、後悔を伴ってお金をポトラッチみたいに使うことでしか自分の稼ぎの達成感を感じられない文化自体が狂っている気がした。
半分昼間に逃げ込んでいただけにそれなりにショックだったものの、やはり一度溶け込んだ事のある街の空気を知る私もまた、そんな事件を「なんだその程度だったの、つまらない」とも「ありがちな話、深夜営業の頃のホストクラブならもっと酷い客いたしな」とも思っているのに気づいた。私自身も、どこかおかしいのだ。
あれから2回、私は昼間に半分身をおきながら、街に戻って働き、街のすぐ脇に住んだ。ストールが今日も燃えているかもしれないし、誰かがビルから飛び降りるかもしれないけれど、街の日常はあの頃とそれほど変わらずに、ただ朝起きて、ただ顔を綺麗にして、ただお金を稼ぐだけでは、生きていける程度の自尊心も満足させられない不器用な女の子たちは今もその街を好んでいると思う。